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ユーレイと温泉に行った
「旦那さんは80%助からない。」
医者に突然こんなことを言われたら、どんな顔をすればいいものか。
12年前、ある病気で入院していた夫は肺炎になり、私は医者に呼ばれてこう告げられた。
それからの数日は、私の半生で一番の試練だったことは間違いない。
思いっきり端折るが、夫は助かった。
80%の致死率から生還した夫の不死鳥伝説は親戚中に知れ渡り、たくさんのお見舞いが届いたが、夫はそれから長い入院生活を送ることになった。
さらに大阪から上京した義母が我が家に泊まると言い出し、1か月近く義母と二人で暮らすことになった。義母のパンツを見るのもキツかったし、自分のパンツを義母に見られるのもキツかった。
もう一度義母と二人暮らししろと言われようものなら、偽装離婚してでも阻止したいと考えている。
夫の容態が落ち着いたころ、夫の叔父さんのお見舞いに行くことになった。この叔父さんは義母の弟で、夫と同じ時期に入院していた。私と義父母はタクシーで都心にある叔父さんの病院に向かった。
夫の叔父さんはテレビに出る仕事をしているので、いい病室だろうとは思っていたが、想像をはるかに超えるすごい病室だった。
エレベーターで上層階に降りると、まるで近未来の病院に来たよう。受付にロボットがいても不思議ではない。通路を奥に進むと、オートロックの扉の前にインターホンがあり、内側からカギを開けてもらう。
病室はホテルのスイートルームのようだった。広々とした応接室があり、奥のベットに叔父さんが横になっている。キッチンもあった。窓の外に目をやると、海の向こうにお台場の観覧車が見える。「病院」という雰囲気は皆無だ。
たくさん見舞客が来る人は、ちゃんとした応接ができる病室でないと困るのだろうが、それにしてもいい部屋だった。
こんなことでもなければ、病院の上層階に行くことなどないので、本当にいいものを見せてもらった。
タクシーで夫の病院に戻り、まるで昔通った小学校のような、入り口の木製扉が開けっ放しの三人部屋に入ったときは、近未来から昭和の病院にタイムスリップしたような感覚だった。
私はこっちのほうが落ち着くけれど。
いろいろあったが3か月後、夫は無事退院した。
体力が回復した頃、温泉でも行こうか、という話になった。
ありがたいことに、義父母が退院祝いに旅費を負担してくれることになったので、いつもより少し豪華な旅館に泊まることにした。
場所は西伊豆の戸田(へだ)温泉。修善寺からバスで50分ほどの場所にある、タカアシガニと塩アイスが有名な温泉だ。
宿の部屋は海に面して広々としたデッキがあり、チェアーに寝そべって海を眺めながらのんびり。
露天風呂からは富士山ときれいな夕日が見えて最高の眺めだ。
夕食には新鮮な魚とタカアシガニが出てきて、こちらも大満足。食後の塩アイスも本当においしい。
「ほんまに死なんでよかったわー!」
「あのときはほんとに大変だったんだからね!」
などど言い合いながら、部屋でくつろぐ夫と私。これが幸せなんだろうな‥‥本当に夫が無事でいてくれてよかった‥‥。
じみじみしていると、夫がトイレに立った。
この部屋のトイレはセンサー式になっていて、中に入ると自動的にあかりがつくようになっていた。しかし、中から夫の声が。
「電気つかん。暗い。」
さっき私が入ったときはちゃんとついていた。なんでだろう。
「なんかセンサーの調子悪いんかなあ。」
首をかしげながら夫が出てくる。
これって‥‥これってまさか‥‥まさか‥‥‥‥‥‥。
夫は実はあの時死んでいたのではないだろうか?
死んでいる人間にセンサーは反応しない。私も夫自身も気づかぬまま、こうして一緒に温泉に来てしまったのではなかったか?
———「旦那さんは80%助からない。」———
あの時の医者の言葉がぐるぐると回る。
私はあの壮絶な数日間を思い出そうとした。
「ねえ、あなたほんとは死んじゃってない?」
「えっ⁉んなアホな‥‥‥‥‥‥。」
「だってセンサーつかないし‥‥。」
「まさか‥‥俺、死んでるんか‥‥‥‥?」
夫の顔色が変わった。彼は思い出してはいけないことを思い出してしまったのか‥‥‥‥?
私はもう一度トイレに入ってみた。あかりはついたが、しばらくするとふっと消えてしまった。
あ、これ、センサーの調子悪いだけだわ。
いつもこんなオチでほんとにすみません。