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心の自由を手に入れろ
沢木耕太郎さんの「深夜特急」の文庫本を6冊まとめて買って、読みふけっている。これがもう、おもしろいのおもしろくないのって‥‥。
「深夜特急」は沢木耕太郎さんの体験に基づいた旅行記。
26歳の<私>はひょんなことからユーラシアを旅してみたいと思い立ち、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗合いバスで行けるかどうか、友人と賭けをする。
今、3巻目を読んでいるのだが、「インドのデリーからイギリスのロンドンまで」の旅のはずが、まだデリーにも着いていないのがおかしい。
沢木氏のルポライターらしい淡々とした、それでいて熱を感じる文章が心地良くて、とにかく時間を忘れて読みふけってしまう。
26歳という年齢は、ある程度社会の仕組みが分かって来る年齢で、それなりの経験もしている。かと言って、何か新しいことを始めようとするのに遅すぎるという年齢でもない。
そんな26歳の<私>の楽天的かつ理知的な行動や、情熱、ユーモア、感傷。その土地の圧倒的な匂いや空気感。
そして訪れた国で出会うとびきり魅力的な人々。
今すぐ旅に出たくなる。
「深夜特急」はそんな本である。
第2巻に印象的なエピソードがある。
東南アジア全域の国民的飲料とも言える、オレンジ、パイン、ミカン、レモン、サトウキビを絞り、氷を浮かべたジュースについての記述だ。
薄汚れたコップが幼いころから学校などで叩き込まれた衛生観念のアレルギーを引き起こし、このジュースに手を出しかねていた<私>だったが、あまりの喉の渇きに耐えられず、一杯飲んでからはむしろ病みつきになり、前の客が飲んだコップを盥の水をくぐらせるだけで洗うということにも抵抗感を覚えなくなる。
旅に出て鈍感になっただけなのかもしれないが、それ以上に、またひとつ自由になれたという印象の方が強かった。
沢木氏の世界を股にかけた経験と私の経験を比べるのは非常に申し訳ないのだが、私も似たような思いを感じたことがある。
19歳の頃まで、私は自分が普通の環境で育った平々凡々な、普通の人間であるという思いを強く持っていた。親が作った道を、姉が通った道を、自分も進んでいくのだと。
ところが、19歳のあるときから、今まで出会ったことのないような価値観だとか、恋愛観だとか、環境だとかを抱える人と知り合うことが多くなって大いに刺激を受け、世間知らずな自分にコンプレックスさえも抱くようになった。
今まで自分ができない、無理だ、悪だ、と思っていたことを普通に、自由にやっている人たち。それは無理でも悪でもなくて、自分がひとつのことを一方向からしか見ていなかったり、勝手に心を縛っていただけなのだと気付かされた。
あの時、僅かながら違う価値観を知ることができて、私は少し自由になった。自分と違う価値観は、無理でも悪でもないんだよ、と。
あの19歳のときからだいぶ年齢を重ねた私であるが、noteを始めてから、あの「またひとつ自由になれた」という感覚を味わうことがたまにあって、いくつになってもそういう経験ってできるんだなあとおもしろく感じている。
心の自由を手に入れろ。自分の心の国境を超えるために――。
「深夜特急」の続きが楽しみだ。