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日本の寄付の系譜:⑤制度による寄付(明治・大正・昭和初期)

寄付といえば、最初にイメージするのは災害時の義援金ではないでしょうか。東日本大震災では、2019年6月時点で3,831億円もの義援金が集まりました。その義援金の始まりも明治時代でした。
明治18年(1885年)6月中旬から7月にかけて続いた大阪の淀川の大洪水で、初めて新聞社による義援金募集が行われました。大阪朝日新聞が実施した「義金募集」の社告では3,976円24銭6厘もの義金が集まったそうです。これはローカルでの動きでしたが、全国規模で義援金募集されたのは3年後の明治21年(1888年)7月15日に発生した、福島の磐梯山の噴火被害でした。この時代、鉄道や電報の発展に伴う新聞報道の充実や、写真や幻灯の普及によって全国的に災害の状況を知ることができるようになりました。この災害では、東京の新聞社15社合同で義援金の募集が行われ、最終的には全国55社の新聞で義援金の報道がなされ、総額40,918円58銭の義援金になったそうです。また、全国各地で開催された慈善幻灯会では入場料10銭の徴収や会場での募金が行われました。この噴火の義援金は当時はエポックメイキング的な出来事だったようです。明治維新以降では多くの被害者を出した大規模な災害だったこと、初めて全国的に募金が集められたこと、かつ、朝敵とされてしまった旧会津藩に対する支援であったことから、この災害救援を通じて近代国家として国が一つにまとまった出来事といわれていたそうです。旧幕藩体制の影響から脱却し、地域で閉じるのではなく、広く日本という国の中で慈善活動や義援金が展開される契機になったようです。

慈善活動家や社会事業家の個人的な寄付の取り組みの他に、磐梯山の噴火の義援金のように国民による全国的な寄付の取り組みも少しずつ生まれてきました。大正7年(1918年)7月に富山で発生し全国に広がった米騒動でも、全国規模の寄付の取り組みがありました。米騒動発生後、明治政府はこの状況を改善するために、有力者から寄付を募り、それをもとに米の安売りをするよう各府県に指令しました。各府県で寄付が集まり、実際にその資金が使われたそうです。群馬や大阪、佐賀など、その時の状況について詳しく書かれた記事がネット上で見ることが出来ます。

大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災の救援・復興活動でも義援金が大きな役割を果たしました。その当時83歳となっていた渋沢栄一は被災地である東京に残って、民間の立場で復興支援の陣頭指揮をとっていました。実業家有志や貴族院・衆議院議員有志とともに、大震災善後会を結成しました。大震災善後会は民間による救援活動の拠点として、義援金の募集と配分、経済の復興を目指して活動しました。その当時で420万円以上の義援金が集まりました。アメリカやドイツなど、海外からの義援金もあったそうです。これらの義援金の使途や1円以上の寄付者名簿などを含んだ報告書が作成されています。現在でも、寄付に関する説明責任が強く求められていますが、この時代でも説明責任は大事なポイントだったようです。

義援金以外にも、国家的事業でも寄付が集められています。大正9年(1920年)に建立された明治神宮もその費用は税金の他、国民からの寄付で賄われました。寄付を集め建立を進めるために明治神宮奉賛会が設立され、全国的な寄付キャンペーンとして実施しました。各都府県に負担額を割り当てて寄付を募りました。地方では、目標額を達成するために役人の役職に応じた寄付金額も設定されていたそうです。目標額を上回る約676万円の寄付が集まりました。
この時代、国の教育制度にも寄付が使われていました。明治5年(1872年)に定められた「学制」や、明治19年(1886年)の小学校令によれば、学校を設立運営するのに必要な経費は学区ごとに責任を負っていました。租税・寄付金・積立金・授業料等の「民費」で、学校の運営を行い、不足分を国が補助するという制度でした。国が行う制度そのものにも寄付の仕組みが組み込まれていました。

一方で、日露戦争以降、太平洋戦争まで、戦争のための寄付もありました。日露戦争で出征した兵士に物品を送る慰問袋や、日中戦争や太平洋戦争では軍用機等を購入するための国防献金や献納運動が実施されました。本来、寄付は自主的に行うものですが、時代によっては制度として利用されたり、強制的に徴収されたこともあったことは記憶しておかなければいけないことです。
(寄付月間共同事務局 事務局長 山田泰久)

キーワード:
1)義援金
・1885年の淀川の大洪水(大阪朝日新聞による、初めての新聞による義援金募集)
・1888年の磐梯山噴火(全国的な義援金募集)
2)国家的募金活動
・明治神宮(1915年) ・米騒動(1918年) ・関東大震災(1923年)
3)戦争
・ 慰問袋と軍事物資献納運動 (日露戦争 1904年) ・ 国防献金 (1930年)

関連する「ファンドレイジングスーパースター列伝」:
Vol.41 京都の町衆/番組小学校/竈金(1869年)
 https://blog.canpan.info/cpforum/archive/1185
Vol.309 明治時代の小学校/学制/小学校令(1886年)
 https://blog.canpan.info/cpforum/archive/1638
Vol.213 1888年の磐梯山噴火/義援金(1888年)
 https://blog.canpan.info/cpforum/archive/1471
Vol.102 米騒動(1918年)
 https://blog.canpan.info/cpforum/archive/1284

【日本の寄付の系譜】
①寄付の潮流
https://note.com/givingdecember/n/naf8e996de880
②勧進から続く寄付の軌跡(奈良時代から鎌倉時代)
https://note.com/givingdecember/n/n9290f125f478
③共助と互助に現れる寄付の実践(江戸時代)
https://note.com/givingdecember/n/n7f85d80acd7d
④慈善と社会事業の寄付(明治)
https://note.com/givingdecember/n/n4bcd947193b0
⑤制度による寄付(明治・大正・昭和初期)
https://note.com/givingdecember/n/nf428db9df0e8
⑥戦後復興期と昭和の寄付(昭和)
https://note.com/givingdecember/n/nc4695eff6328
⑦現代の寄付
https://note.com/givingdecember/n/n34a268796955

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