誰も恨みたくない。
自分ができない故に承認欲求が満たされないだけなのに、その承認欲求を歪めて他人への羨望や嫉妬に置き換えその原因を自分の過去の悲しみとしてしまう。過去の自分の悲しみと、彼らの悲しみにはなんの因果もない。
誰かを恨むくらいなら自分を憎んで恨んでいたいので、自傷で自分が悪いことを刻み付けている。
ただ私は、楽しく努力して、そしたらある程度できるようになって、それが自信になって、それでよかった。いや、人間は欲深い生き物だし一番を求めたかもしれない。器用貧乏は器用貧乏で辛い面はあると思うが、正直何もできない辛さとは次元が違うと感じている。人生に対する「どうにかなる」の意気込みが違う。楽しいことをする気力がある。受動的ではなく能動的に取り組んでいる。本当に何も出来ない人間というのは、楽しみの計画さえも立てられずさらに提案や一言一言で全て台無しにしてしまうのだ。
本当に憎らしい。どうにかなるくせにプライドを折れないばかりにそうやって病んで鬱になってしまうことが。憎らしいが私のようにプライドを投げ捨て虚栄心で自我を守る人間よりも、努力の結果鬱になってしまった彼らの方が人間として素晴らしいと思う。わかっているのだ。1番無価値なのは自分が無能だから、何も努力出来ないから、性格もクズであるから。生きる価値などないのだ。本当に。
自分の性別に悩む方のツイートで「このままだと理解してくれる人たちまで恨んでしまいそうだ。」というのを見かけた。あまりにも刺さる内容だった。なぜなら自分は周りをすべて恨みはじめている。これは危険だと思った。だから遠慮なく自傷することにした。
アパートで自殺すると賠償金が家族のふりかかるので死ぬなら別の場所にしなくてはいけない。どこならいいんだろうか。首吊りがいいのだが。
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