ローマ・テルミニ駅
「旅を思い出すことは,人生を二度楽しむこと」,これはメンデルスゾーンの言葉と言われる.私も,これにならって,ヴェネチアをメンデルスゾーンの舟歌(第1)とともにYouTubeに紹介した.今回はその続きで,YouTubeの20作を記念して舟歌(第2)をBGMにしてローマを思い出してみた.
さて,『終着駅』と言うと,森村誠一原作の刑事ドラマ『終着駅シリーズ』かと思う人もいるかもしれない.このシリーズは,1990年に始まり,2021年第37作「停年のない殺意」まで放送が続いている長寿番組である.しかし,私がいるのはローマ最大の駅「テルミ二駅」である.映画「ひまわり」[1]でも有名なヴィットリオ・デ・シーカ監督によるジェニファー・ジョーンズ主演の恋愛映画(終着駅,1953年公開)の舞台である.「テルミ二駅」に降り立ったのは1981年の9月である.ローマの街の観光に先立ち,先ずは駅のトイレ.ということで,用を足していたらお掃除のおばさんが何やらわめいている.私は閉所があまり好きではないので,自宅のトイレではドアを少し開ける悪いクセがある.流石に,外出先のトイレではドアを閉めるが,どうもこの時,鍵がかかっていなかったようで,お掃除のおばさんは,鍵がかかっていないドアのことを咎めているらしい.「テルミ二駅」は,19世紀末に造られたローマ中央駅が前身で,ムッソリーニの時代にも改修が行われた.正面玄関部分は1950年頃に建設されたモダニズム建築で,ガラスと大理石を用いた建物である.現在の駅の写真と1981年当時の駅の写真(下の写真左)とを比べてみたが外観は変わっていないようである.
テルミ二駅(Stazione di Roma Termini)の名前の由来については二つの説がある.一つは,駅の近くに古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝の浴場(下の写真右)があり,その浴場 テルメ(terme)に由来する地名説である.もう一つは,終着・終点(termine)に由来する説である.ネット上では,終着・終点(termine)に由来する説は,間違いであると断定している記事もある.JTBのテルミニ駅観光のサイトでは,古代ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスの公共浴場(テルメ)の遺跡に近いことから,この名が付いた.また,テルミニはイタリア語で終点を意味し,テルミニ駅=ターミナル駅(終着駅)となる[2].このように,両論併記のような形で,無難?な説明がなされている.イタリア文学者で東京外国語大学の河島英昭名誉教授は,音は似ているがテルメとテルミニの語源はまったく別であるし,そもそもテルミニとは終着の意味であり,この地点に古代の水道の終着点が集まっていたことと,鉄道駅の文字通り終点となったことから名付けられたのであろうと述べている[3].興味があったので,私なりに調べてみた.ラテン語で浴場はテルマエ (thermae;絶対複数),イタリア語ではテルメ(terme;単複同型)となる. ラテン語で終着・終点は,terminus(単数)で複数がterminiである.イタリア語では,termine(単数)で,複数がterminiである.どうも,終着・終点の方に分があるように思えるのだが.
私はイタリア語にもラテン語にも専門外であるが,解剖学名はラテン語が基本なので,少しだけ知識がある.このわずかな知識が,ここローマで役に立ったのである.ローマに到着し,予約したホテルを探したが,一向にわからない.道行く人にも聞いてみるのだが,要領を得ない.しかし,何人かに訪ねて行くにつれ目的のホテルに近づいてきたのか,少しずつ手応えを感じてきた.ついに,目的のホテルが,右か左のどちらの道の方にあるかまで分かってきた.ラテン語で右はdexter,左はsinisterである.イタリア語の右はdestra,左はsinistraで,ほとんど変わらない.これだけが通じて,ようやくホテルにチェックインできたのであった. やれやれ😅🍺
写真左:1981年当時のテルミニ駅の正面玄関.写真右:共和国広場に面したディオクレティアヌスの浴場跡のごく一部.写真に写っているのは,サンタ・マリア・デリ・アンジェリ・エ・デイ・マルティーリのバシリカ(天使と殉教者の聖マリア聖堂)の入り口(矢印).やや湾曲した入り口は熱浴室(カルダリウム),続く翼廊は床暖房のシステムを取り入れた微温浴室(テピダリウム)があった部分を教会に改造したもので,設計にはミケランジェロも携わった.この浴場は,3世紀末に皇帝ディオクレティアヌスが造らせたローマ帝国最大と言われる共同浴場(テルマエ)で,3000人も収容できる規模であったと言う.熱浴室,微温浴室の他に,冷浴室(フリギダリウム), 水風呂,ジムのようなものも併設され,健康ランドのような一大複合レジャー施設である.3世紀末と言えば弥生時代の頃で,この昔にこのようなものがあったとは,驚きである.共和国広場そのものが,この大浴場の一部であったことからもその壮大さが偲ばれる.なお,共同浴場(テルマエ)は,ヤマザキマリによるコミック「テルマエ・ロマエ」のテルマエで,映画化もされている.「テルマエ・ロマエ」はラテン語で,「ローマの浴場」という意味である.なお,共和国広場の噴水はマリオ・ルテッリの作品「ナイアディの噴水」1901年完成.オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」のロケ地でもある.オードリー・ヘプバーン扮するアン王女が滞在先の大使館(ロケ地はバルベリーニ宮の門)から出入りの業者のトラックの荷台に忍び込んで抜け出し,最初におりた場所が共和国広場で噴水の一部も映画に登場する.
バチカンの傭兵
冒頭の写真は,バチカン市国とローマ教皇を警護する傭兵で,青,赤,オレンジの派手な縞模様の制服を着ている.16世紀に教皇ユリウス2世が警護のために,当時,世界最強と言われたスイス兵を雇った傭兵が始まりである.現在でもスイス人が傭兵として警護に当たっている.現在のスイスは,傭兵を禁止しているが,中世からの伝統をもつバチカン市国のスイス傭兵は,唯一の例外として認められている[4].当初の制服はミケランジェロのデザインという説もあるが,この説には根拠がないようである.この制服は1914年にスイス傭兵の士官ジュール・ルポン(Jules Repond)により1500年代ルネッサンス期当時のスイス傭兵の装いを元にこのデザインの制服が導入された.手にしている槍斧(ハルバード)の持ち方が,通る人物の位によって違うそうである[5].
[1]穐田真澄 ヒマワリの花と映画「ひまわり」 https://note.com/gita_to_sanpo/n/n727c681bee0f
[2]テルミニ駅(Stazione di Rome Termini)の観光情報 https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/western_europe/republic_of_italy/ROM/105930/index.html
[3]河島英昭 『ローマ散策』 新赤版 698巻〈岩波新書〉岩波書店,2000年,123-124頁
[4]https://ja.wikipedia.org/wiki/スイス傭兵
[5]奇抜な制服のデザイナーは誰? https://ameblo.jp/mammamia12/entry-12260926879.html 原文は傭兵ではなく衛兵となっている.