聖徳太子は「聖徳太子」!!
○「聖徳太子」に学ぶ「国防」・「安全保障」〜その2〜
「聖徳太子」と言ったら、「冠位十二階」
「十七条の憲法」が代名詞ではないでしょうか。
そのほかにも、
法隆寺
四天王寺をはじめとする寺院を建立し
「仏教」を手厚く保護したり、
当時の中華王朝・隋との国交回復により
大陸文化を採り入れるなど、
国内外に数多くの業績を残しました。
日本史の授業でも必ず学ぶ人物として有名です。
しかしながら、
近年の日本史教科書の傾向として、
現在主流となっている歴史教科書においては、
「聖徳太子」ではなく、
生前の「厩戸王」や「厩戸皇子」
と表記されるのが一般化されているようです。
なぜでしょう?
その理由として挙げられているのが、
「聖徳太子」という呼び名は、
後の世になってから
「厩戸王」に送られた尊称である
ということが一つ、
そして、
神話時代から第41代・持統天皇
までの業績を記録した
日本の最も古い歴史書である「日本書紀」に、
「聖徳太子」という名前が
一切出てこないということが主な理由
とされているようです。
よって、
歴史教科書では「聖徳太子」ではなく、
生前の名前である「厩戸王」や「厩戸皇子」と
呼称・表記しようということらしいのです。
いっけん、
至極まっとうな見解であると思われます。
しかし、あえて問わせていただきたい。
「日本書紀」に記載が無いからと言って
聖徳太子が完全否定されるのでしょうか?
聖徳太子は存在しなかったのでしょうか?
中には、
聖徳太子という名前の人物は
存在しなかったのだから、
聖徳太子の功績もすべて存在しない、
ウソであったと主張する人物も登場する始末・・・。
これは由々しき事態です。
なぜなら、
もし、
聖徳太子に限らず歴史上の全偉人達において、
「生前の名前の表記」
が正しいとするのであれば、
歴代天皇ですら、
全て生前の名前で表記しなければなりません。
そうしますと、
明治天皇の場合は「睦仁(むつひと)殿下」。
同じく、昭和天皇の場合は、「裕仁(ひろひと)殿下」となり、
聖徳太子と表記しない原則から考えますと、
歴代の天皇も死後に追号された
〜天皇とは呼称できなくなるということです。
しかし、
実際にはそのようにはなっておりませんよね?。
教科書には、
明治天皇は明治天皇、
昭和天皇は昭和天皇と記載されております。
これは大きな矛盾なのではないでしょうか?
皆さんはこのことについて
どのように考えますか?
聖徳太子という呼び名は、
あくまでも厩戸王(厩戸皇子)の
生前の大きな偉業を称え、
送られた尊称であり、
「聖徳太子自体が存在しなかった」
という話では一切ないのです!
しかしながら、
現代の子供たちは、
「聖徳太子」という表記が、
「日本書紀」に名前が出てこない
という支離滅裂な理由で、
聖徳太子の名を教えられておりません。
これは、なんと悲しいことでしょうか!
断言いたしましょう!
厩戸王こと
「聖徳太子」はダタモノではなかった!
と・・・。
「聖徳太子」は、
数々の偉業を成し遂げた
日本史上稀に見る「国士」であったと!
・・・。
これからの記事を読んでくだされば、
今後は「厩戸王」ではなく、
あえて「聖徳太子」!と呼びたくなること
間違い無しです!
お約束いたします。
よって、
これより後は、
「聖徳太子」という呼称で
お話を進めて参りますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
皆さんも、
是非聖徳太子と呼称してくださいませ。
誰がなんと言おうが、
聖徳太子は存在し、
その歴史的偉業は
後世に語り継がれるべきなのです。
つまり、
誰がなんと言おうが、
聖徳太子は「聖徳太子」なのです!
それでは、
タダモノではない、
聖徳太子の偉業、
とりわけ「国防」「安全保障」
にまつわる「外交政策」について
話していこうと思うのですが・・・、
その前に皆さんに
事前に知っておいていただきたい情報が
ございます。
それは、
「中華思想」
という中国の独特の思想・概念
についてであります。
次回・・・、
○中国の「中華思想」とは?
・中華人民共和国「日本自治区」!?
乞うご期待!