スマホは“考えることを放棄する”便利な道具
■スマホを見ていないとソワソワする
最近、自分の普段の生活の中での行動で気になっているのが、スマホを見ていないと落ち着かないということです。電車で移動しているときだったり、一人でごはんを食べにお店へ行って食事が出てくるまでの間に、手持ち無沙汰になっていると、ぼーっとしていることができないで、ついついポケットのスマホに手が伸びてしまうのです。
これは、エレベーターに複数人で乗ったときに、ついつい階数表示モニターに目をやってしまうのとなんか似てるなあ、と思いました。エレベーター内でのその行動は、パーソナルスペースに他人が侵入してきていることによるストレス、不快感からそれを逃避するために目を逸していると心理学的に言われていますが、スマホを見てしまうのも、ぼーっとする時間が与えられると自分の頭で何か考えなければいけなくなるので、その逃避行動としてやっているような感覚であることに気づきました。
今までは、通勤の電車の中でスマホを使って、はてブやfeedlyなどを使ってその日の関心ありそうなニュースを斜め読みすることで情報収集をして、スマホでゲームしたり動画を見て通勤する人よりも、少し誇らしげな気持もあり、有意義な時間が過ごせていると思っていました。
なんで上でのようなことを気付くきっかけがにあったかというと、最近”思考力を磨く”みたいな本を数冊読んでて「自分って普段全然”考えること”をしていないなあ」と実感したのがきっかけでした。
■この人”物事を深く考えているなあって人”は何が違うのか?
頭が良いと思われている人達の中でも”物事を深く考えているなあって人”と”意外と浅はかだなあ”って人に分かれていると思います。
頭がいいけど意外と浅はかな人のイメージで言うと、クイズ番組では活躍するけど、討論番組とかに出演すると自分の意見が定まらず的を得ないことを言って、物事を深く考えている人達に打ち負かされてしまうような人のイメージです。知識はあるけど、知性はない人でしょうか。ウンチクは教えてくれるけど、「○○についてどう思います?」には、回答がすんなり出てこない人。
”物事を深く考えているなあって人”は、専門分野のことはもちろんのこと、自分の専門分野外のことでも振られた議題に対して、YES/NO、A/B、はっきりした立場を示せる人です。ただ言い切ればいいという訳ではなく、その立場である論点を示し、そこにたどり着くまでの前提条件を一度自分の中で洗いざらい考えているから、「じゃあ、こういう場合はどうなんだ?」的な質問に対しても、それはここでこういう前提条件で考えようとしている考え方だから、自分は違うなどと答えられます。
どんな本にも"問いを立てる"重要性が書かれています。物事を深く考えている人は、普段から自分で問いを立てて、それに対する解を自分なりに導き出しています。それを色んなことに繰り返し行っているのでしょう。
思考の深い人たちは以下の3つの力が優れていると思います。
①問いを立てる力
②複雑なことを要素に分解して、比較、分類、構造化する力
③ゴールをイメージする力
思考のきっかけをつくるのは、問いを立てる力なので、それに基づいて②、③が生まれてきます。逆に言えば、①のエッジがないと、優れた②、③も生まれないのでしょう。
問いを立てる方法は、色々体系化されていると思いますが、根本はやっぱり物事に対して、無邪気な好奇心を持てるかなんでしょうね。ステレオタイプ、前提条件を取っ払って①→②→③で妄想したときの面白さが成功体験となれば、次からの自分を問いを立てることへモチベートできる気がします。