周りから教わるのも覚えるのもゆっくりだった(ご挨拶)
生活全般のことが、できないことが多すぎて
それで自信を持つなんて難しかった子どもの頃。
まず?
例えば、保育園で泥団子に熱中しすぎて、
ひび割れるかと思うくらいカッサカサの手になって帰ってくるとか。
マラソン大会が嫌で、遅れに遅れてたのをいいことに
途中の細くなった道で立ち止まり、
茨にとげとげした木の葉っぱをさわってみたりしてて
皆と一緒に保育園に帰らず先生に迎えに来てもらった。
休めば良かったのかもしれないけど
最後の焼きいもが食べたくて仕方なく参加してたな、とか。
小学校では学童保育で、ある夏休みに
1年生が私だけ、あとは3年生のお姉さん2人組だけ
(後に片方は親がPTA会長になるしなんか子どもも偉そうだった)。
で、お姉さんたちが怖くて、
仕事前に自転車で送ってくれた母が行ってしまうと
急に怖くて泣いてしまって
荷物も何も持たないで泣き叫びながら追いかける。
母:あらー朝から「お母さーん!」って泣き叫んでる子がいるわー。
かわいそうに。大丈夫かしら?
(ちょっと振り替える)
うちの子ーー!!??Σ( ̄□ ̄;)
そして一緒に母の職場へ連れて行ってもらい、
別の部屋で遊んだり、同僚のおじちゃんに
アイスを買ってもらったりして過ごしたある日。
とか。
同じく小学校低学年頃。
放課後、何もないコンクリート舗装道路の、
歩道で、コンクリートの小さなでこぼこに
何故か運動靴の爪先を引っかけて転び、
手が出なくて顔面強打。
おでこから鼻を通ってあごまでの一直線と
左右の小鼻を道路で削って「小」の字型の傷ができる。とか。
パンツは必ず綿100%だったけど、
買ってきたのを袋あけてそのままはくと
必ず鼠径部(足のつけね)がかぶれたので
1度洗ってからじゃないと履けなかった。とか。
ぬるいお風呂(たぶん39℃とか)でも
小学校までは、肌が痛いような感じで
熱くて入れなかった。
一生懸命手おけでじゃぶじゃぶまぜて
ぬるーーーくしてから入ってたし、
何ならお風呂は入りたくなかった。
温泉とか熱すぎて死ぬかと思うくらい。
とか。
思えば色々ありました。
どうにかこうにか大人になりました。
勉強してれば楽しかった。
学問的なことを追及するのは好き。
電話とるのはとっっっても苦手でした。
「慣れればできる」類いのものじゃなかった。
色々あって、でも引きこもりだけは嫌で
つまみ細工に熱中して、個人事業主になって、
色々ありながらだんなさんと出会えて
授かることはないだろうと婦人科で言われていたけど
ひますけ(娘:ハンドルネーム)を授かって、
多くの方に来ていただける教室運営まで
させてもらえている今日この頃です。
一重に、多くの方に支えていただいているからこそ
今があります。そして妊娠中も、
娘の自我が出て来てから今も絶賛進行中で
悩みが尽きません。
発達障害と書くことは、カミングアウトと言われることで
嫌悪感を示す方もいらっしゃるでしょう。
≪主治医の持論≫
「病気じゃないんだ"。"治る"ことはない。」
「生活を工夫していくことに尽きる」
「そういう脳を持って産まれてきた。他と比べないこと」
「ルールを作る。アラーム活用。」
「出来ないことをやろうとすると体調崩すからやめとけ」
めちゃくちゃ探して、そんな先生に出会えて
自分の大変さについての取説も
周りに伝えられるくらいには出来てきて、
娘との関係で工夫できるところを探しては
トライ&エラーの日々です。
求む!具体策!
抽象的な慰めより、具体策をプリーズ!
なのであります。
私のやってみた具体策と結果とか、書いていこうと思います。
あくまで、「うちの場合はね」の範囲です。
お困りの皆さん、どうぞトライ&エラーの1策に
ご活用ください。
そしてコメントとかで「うちの場合はね」を
どうぞ教えてください。
試させていただきます。
よろしくお願いします🙇⤵️