私のもう一つの自己紹介
ライターの仕事以外では、全く違う仕事をしていた。
子どもの頃から文章を書くことが大好きだった私は、よく友達に手紙を渡していた。
口下手なので書くことで想いが伝えられるのは正直言ってラクだった。
小学6年生の卒業アルバムには「将来なりたいもの」の答えは幼稚園の先生だった。その夢は消えることなく、本当に幼稚園の先生になり、3,4歳児の担任をした。
お給料は少なかったけど、子どもが好きで音楽や工作が好きで好きなものをやってお金をもらえるなんて、なんて素敵なのってマジで思っていた。
12時間労働は当たり前の幼児教育関係だが、残業代もなく朝早くから掃除をして子ども達が帰ってからも掃除をして、毎日、内容の濃い仕事をさせてもらって、それでお金が頂けるっていうのは本当に嬉しかった。
結婚は23歳。
結婚のけの字もないと思っていた人が結局、早く結婚したりするんだよねと思った。
子ども達も現在は24歳と27歳だ。りっぱな成人。一人暮らしをそれぞれしているので私は今、夫と2人の生活である。
新婚生活は会社の社宅で6000円だった。2DKの川崎駅から歩いて15分ぐらいのところだ。
子どもが小さい頃は川崎の公園で朝から晩までよく遊ばせた。
私はいつも見守っていて、子ども達が遊ぶ姿はとても楽しく、嬉しい時間だった。
30代は、二足の草鞋。
私も30代に入って、ひょんなことから家でピアノを教えることになって午後はピアノ講師。そして午前中はパートに出たり、家事をやったり、SNSで日記を書いていた。
そのころ、「音を感じさせる文章」にチャレンジしていて、知り合いからAFPBBニュースサイトで書いてみないかと打診が来てベリーショートストーリーを書くことになった。
午前はライター、午後はピアノ講師を2足の草鞋だったが毎日が充実して楽しい毎日を送った。
この仕事も大好きなことでお金をもらえるなんてなんて幸せなの!と思っていた。
私、なんだかんだ落ち込むこともたくさんあるけど、「好きなことを仕事にする」というのには縁があるんだなと感じた。
ピアノは3歳から習っていたものの、楽譜通りに弾くクラシックは私にあっていないと感じ、ジャズやボサノバ、ポピュラーを良く弾き、
教えることに情熱を感じ、芸術大学まで行ってしまったという過去がある。
40代は離婚、幼稚園の先生に戻った。
40歳という歳を背にして、私はまた幼稚園の先生に戻った。ピアノ教室をやっていたマンションは売り払い家族も離散しちゃんとお給料がもらえる幼稚園という組織に戻ったのだ。
幼稚園で働きながら書くことは
やはりやめられなかったようで大学で習った電子音響音楽のコラムを書かせて頂いたり、テキストの手伝いもさせてもらった。
幼稚園もアートを主体にしているところを探し、アート(音楽、美術)に没頭した。
50代で再婚。そして書くこと。
もとの主人と再婚した。そして今があってnoteを書いている。
私はいつだって書いて
伝えて発信していきたいのだ。
ギランバレー症候群という大病もしたが自分を振り返るギフトだったのかもしれない。
そして毎日書くのは
「こころの整理」である。
友達に「こころの整理」のために協力してもらってリハビリ病院での毎日をラインで送らせてもらった。
返事はいらないから。と言ったけど、みんなそれぞれに思ったことを返してくれた。
ひとりじゃない、と思えたのも友達のおかげだ。
それは今でも続いている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?