新井芳子(あらいよしこ)

1969年生まれ 東京都出身 2024年7月にギランバレー症候群を発症し2か月半の入院生活を送る。リハビリしてくださった理学療法士、作業療法士の皆さん、応援してくれた友達、そして家族の支えがあったからこそ、こころが安定したことを忘れてはならない。

新井芳子(あらいよしこ)

1969年生まれ 東京都出身 2024年7月にギランバレー症候群を発症し2か月半の入院生活を送る。リハビリしてくださった理学療法士、作業療法士の皆さん、応援してくれた友達、そして家族の支えがあったからこそ、こころが安定したことを忘れてはならない。

最近の記事

退院して1か月、出来るようになったこと。【ギランバレーの奇跡】25

ギランバレーになってから足の動きで出来なかったことは正座としゃがんで立ち上がることだった。 正座が出来ないと気付いたのは2024年の9月5日、リハビリ病院に転院する1日前。作業療法をしていたときに、畳の部屋で正座する場面があり、出来ないなんて思ってもいなかったので、正座をしようと思ったら激痛が走った。 「痛たたたたた・・・・・!!」 作業療法士のYSさんに「正座が出来ないよ~!!!」と言ったら「えっ?!!」と驚いていた。 「ゆっくり座ってみて」と言われたが膝が激痛すぎて足

    • これ以上のリハビリはない。と言われた。【ギランバレー症候群の奇跡】24

      2024年9月8日 リハビリ専門病院に転院して2日目。 ここの食事はおいしい。初日も思ったがよくいう茶色のごはんではなく、色とりどりで酸っぱいやら甘辛いやら色んな味がして、食べることが楽しくなってきた。朝はパンが出て1か月ぶりに食した。 初日にも言われていたんだけど、理学療法で2日目の日に「6分間歩く」というテストがあるから伝えておくねと。 それがまさか今日の午後に突然やってきた。 4メートルしか歩いたことがない私にとって、どこにも捕まらず、手放し状態で「6分歩く」ってど

      • noteを始めて1ヶ月経った。

        今日は11月18日、noteを初めて1ヶ月、ギランバレー症候群退院から1ヶ月である。退院してからも旦那が家の事をよくやってくれた。 退院すると、色んなとこが飛び込んできて、その日は目の前がクラクラしたのを覚えている。 そして、退院する前から決めていたことは18日からnoteを始めようとうずうずしていたこと。 毎日、書いていたが後半は体調が良くなく、今日も書けないであろうと思っていたがなんとか書けている。 肺炎になってしまって、熱が40℃近く出たのとしつこい咳。 今日も病院に来

        • 今年は病気のデパート

          もう今年は病院行かないと思ってたらひどい風邪(咳すごっ)になって熱もあがっり下がったりで内科に行ってきますわ、

          ピアノを習う前に出来ること、いっぱーいありますよ!よーく読んでね。(対象:小学3年生まで)

          この記事は私が16年間ピアノ講師をしていたときの体験レッスンの内容です。ピアノが初心者の方なら、大人の方から3歳児ぐらいまでこれでわかると思います。 まず、ピアノの鍵盤をみて、黒い2つの鍵盤と黒い3つの鍵盤があります。わかったかな? では、最初に黒い2つの鍵盤を探してみましょう♪ そうそう!そこそこ! 黒い2つの鍵盤を見つけたらお手てをチョキにして 鍵盤の上に置いてみましょう。 お手てを置いたら親指を出します。 親指さん出たね~ 親指さんを白い鍵盤に置いてみましょう

          ピアノを習う前に出来ること、いっぱーいありますよ!よーく読んでね。(対象:小学3年生まで)

          正しいお風呂の入り方(ジェットコースター編)【ギランバレー症候群の奇跡】23

          リハビリ専門病院では入浴もリハビリのひとつと考える 芳子にとっては1か月10日ぶりのお風呂である。ここの病院では週3(1回45分)でお風呂リハビリがあり、 など色々な項目があり、 作業療法士さんや介護福祉士さんらが一緒に入ってくれて観察(これが恥ずかしい)。初日のお風呂デーはとても緊張した。 1か月ちょっと寝たままシャンプーだったので、 まず、身体を洗うことにした。 お風呂専門の椅子があり、そこに座って身体を洗った。まず一安心。 そのあとが大変だった。浴槽をまたげたの

          正しいお風呂の入り方(ジェットコースター編)【ギランバレー症候群の奇跡】23

          リハビリテーション専門病院に転院【ギランバレー症候群の奇跡】22

          9月6日 初めて乗った介護タクシーのなかで。 急性期病院にいたとき「リハビリ専門病院はリハビリが治療だからスパルタだよ~」と看護師さんに言われていたこともあり介護タクシーの中で、「疲れた」とか「「もう出来ない」とか言っちゃダメなのかなぁと心配になった。 スパルタってどんな感じ?どんな風にスパルタなの??と考えているうちに回復期のリハビリステーション病院に着いた。 この病院は午前10時に入院手続きをし、初日からリハビリが始まる。それにもドキドキしていた。 脳神経内科のS

          リハビリテーション専門病院に転院【ギランバレー症候群の奇跡】22

          私のもう一つの自己紹介

          ライターの仕事以外では、全く違う仕事をしていた。 子どもの頃から文章を書くことが大好きだった私は、よく友達に手紙を渡していた。 口下手なので書くことで想いが伝えられるのは正直言ってラクだった。 小学6年生の卒業アルバムには「将来なりたいもの」の答えは幼稚園の先生だった。その夢は消えることなく、本当に幼稚園の先生になり、3,4歳児の担任をした。 お給料は少なかったけど、子どもが好きで音楽や工作が好きで好きなものをやってお金をもらえるなんて、なんて素敵なのってマジで思ってい

          私のもう一つの自己紹介

          こころは、次のリハビリ専門病院へ。【ギランバレー症候群の奇跡】21

          9月3日 前回の記事で「4メートル歩けた」とあったがまだ、ドタドタ歩きで疲れが出るので、車椅子から歩行器へと変わった。 歩行器だと立って捕まって歩けるのだが、今日は歩きすぎで下半身が重い芳子である。 人間の身体って重いのね。 痛感するわ。 歩行器でトイレにもいくようになり、足先に力を入れて立ち上げるのは1日1回成功するようになった。 9月4日 歩行器でリハビリ室まで歩く。 途中でのさかのぼりも歩行器を使って前に押し出す感じだ。 疲れ気味で歯も痛くなる。 理学療法士さ

          こころは、次のリハビリ専門病院へ。【ギランバレー症候群の奇跡】21

          やっと歩けた。ひとりで。【ギランバレー症候群の奇跡】20

          リハビリ室で、廊下でやっとひとりで歩けたんだよ。 午前中の理学療法でリハビリ室に車椅子で行き、今日こそはと、力を振り絞ってイメトレのことを思い出して動いてみたら、車椅子から立ち上がり、平行棒に捕まって10メートル歩けた。 嬉しいというよりも一生懸命だったから感動を味わうとかそういう余裕はなくてドタドタ歩きだったけど なんとか歩けた。 そのあと、病室の前の廊下で今度は捕まらず、ゆっくりフラフラしながら4メートル歩けた。 ずっと前を見据え、看護師さんたちが「もう歩けるようにな

          やっと歩けた。ひとりで。【ギランバレー症候群の奇跡】20

          車椅子を走らせて1日中、トイレに走った【ギランバレー症候群の奇跡】19

          リハビリパンツになって車椅子でダッシュ!! 「粗相を致しません!」から1週間、芳子の場合、水分は2リットルは飲んでいたので1回の尿の出が多いということで思い切って 「リハビリパンツにして車椅子で毎回トイレに行きたい!」と申し出てみた。 この1週間、粗相をしていないし、主治医、看護師さんたちのOKが出て、「じゃぁ、やってみよう!」とのことでチャレンジが始まった。 車椅子に乗るのはリハビリの時だけだったので3時間ごとの車椅子発車でどうなるか心配だったけれど、布のパンツになる

          車椅子を走らせて1日中、トイレに走った【ギランバレー症候群の奇跡】19

          客観的に見る自分の愚かさ

          ギランバレー症候群になる前の芳子の生活 なんだったんだろうと、今なら分かる。その最中は何が良くて何が悪いかの分別もつかなった自分がいた。 生き急ぐとはこういうことをいうのだろうか。何をそんなに急いで何処へいく。とその当時の自分に言ってやりたいと芳子は想う。自分を大切にしていなかった。 慢性腰痛の身体に鞭を打っていたのは自分で周りの人にも迷惑をかけて、結局は仕事を辞めるという決断になる。 それでもいいから、 「周囲の役に立ちたかった」というのが本音だが、もう、自分は行けると

          客観的に見る自分の愚かさ

          膀胱のコントロールが出来なくなる。【ギランバレー症候群の奇跡】18

          1か月に1回、膀胱炎になる芳子だが、ギランバレーになってから膀胱のコントロールが出来なくなる。 芳子は病前で1か月に1回、膀胱炎になる身体だったが導尿をしているので、膀胱炎が治らず痛い思いも何度も経験することになった。 普通は、導尿をしていればおしっこが出るとき、わからないというが、血液が出る程の膀胱炎になってしまったため尿が出るとき、針を刺されているような痛みを感じるようになった。 主治医に相談して導尿を外してほしいと頼んだが「尿意を感じて出すという感覚がマヒしている

          膀胱のコントロールが出来なくなる。【ギランバレー症候群の奇跡】18

          古い団地のトイレの中でどうしようもない昭和感を感じてしまう

          家は昭和50年代に建設された古い団地の4階である。 今(2024年現在)は古い団地の4階に住んでいるが子どもの頃は東京都大田区蒲田の徒歩10分ぐらいの社宅に住んでいた。 ここでも昭和感はぬぐえないのだが家の中のトイレという場所はとんでもなく昭和を呼び起こす空間なような気がする。 誰もが1日、何回も使うトイレは和式から洋式に変化していき、ウオッシュレットつきや勝手に便座のふたが開いて「どうぞ」と言っているような感覚のトイレに変貌した。 便座に座るとほっとする自分だが、昭和

          古い団地のトイレの中でどうしようもない昭和感を感じてしまう

          自分のちからで外へ出ていく楽しさ。【ギランバレー症候群の奇跡】17

          指が少し動くようになって車椅子を動かす練習を始めた。 リハビリは毎日ある。365日だ。 芳子の入院生活はなんでもリハビリになり徐々に車椅子に乗り移ることも出来るようになり、自分で車椅子を押すことも出来るようになってきた。 といっても、7階のワンフロアを1週するだけだが。 理学療法士のTNさんと毎朝、 「車椅子ドライブ」を楽しむことが日課となった。 前に進むのは簡単だけど、後ろや曲がるときが難しく、芳子は運転免許を持ってないので「車のハンドルを回すように」と言われてもピン

          自分のちからで外へ出ていく楽しさ。【ギランバレー症候群の奇跡】17

          リハビリによって私の身体は再生された

          今まで運動をしなかった私にとってリハビリは日々を変えてくれた。 2024年7月末、突然、身体の筋力を失って救急車で運ばれ、ギランバレー症候群という10万人の1人の割合で罹る筋力低下の病気になってしまった。 症状が始まった当初は 「私にはもう明日は来るのか、いや、もう考えられない」と頭も疲労し 寝たきりの自分に絶望した。 お薬の治療が終わり、すぐにリハビリの生活になった。そこで思ったのが、 「身体はすごく重くて疲れるけど、動けるってなんて気持ちがいいのだ」 ということ。

          リハビリによって私の身体は再生された