春は名のみの風の寒さや(早春の和歌)
春らしい暖かさを感じたかと思うと翌日は真冬のような寒さに逆戻り、春はどこへいった、と思うような季節が行きつ戻りつする時季になりました。
早春賦という歌がありますが、まさにその通りですね。
「早春賦」
春は名のみの風の寒さや谷の鶯歌は覚えど時にあらずと声も立てず
氷融け去り葦は角ぐむさては時ぞと思うあやにく今日もきのうも雪の空
春と聞かねば知らでありしを聞けばせかるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か
このような春って言われたのにちっともあったかくならない、いつ春は来るんだろう、というような時季の歌。
若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の飛火の野辺の雪のむら消え(藤原教長)
春日野の雪のむら消えが若菜を摘む袖に見えるというんですがまあ見えないですよ(笑)
本当に見間違うと言っているわけではなくそれほど待ち遠しいということです。
この歌「春日野の飛火の野辺の」が大変しつこくてですね、春日野も飛火の野も同じ場所のことですし、「の」ばっかりなんですが、それが待ち遠しい急くような気持ちにぴったりで、点々と配置された「の」がむら消えの雪みたいでやはり歌は口に出して味わうものだなあと思います。
谷河のうちいづる浪もこゑたてつ鶯さそへ春の山風 (藤原家隆)
「鶯誘え、春の山風」って下の句、明快で爽やかでとてもよいですね。
本歌が二首ありまして。
「谷風に解くる氷のひまごとにうち出づる波や春の初花」(源当純)
この歌は谷川の氷がとけて立ち始めた波を花にたとえています。
「花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯誘ふしるべにはやる」(紀友則)
この歌では花の香を風にのせて鶯を誘う標にしようと言っています。
つまり「谷河のうちいづる浪」=花だから、それで鶯を誘い出してくれ、って春風に言ってるんですね。
この歌は一見上の句と下の句が切れているようで、上の句は春の訪れを告げただけで、下の句は下の句で独立しているように見えます。
また、波の音、鶯の声、風の音という聴覚による春の歌に見えます。
ですが波=花なので花の香を運ぶ春風、という嗅覚の春が隠されていて、うっすらと全体に花の影がちらついているようなとてもよくできた歌です。
読み心地はとてもシンプルなんですけどね。家隆らしいといえるかもしれません。
空はなをかすみもやらず風さえて雪げにくもる春の夜の月(九条良経)
がらりと変わって、良経らしい陰気な歌になりました。
空はすべて霞んでいるわけでもなく風は冷たくて霞ではなく雪が降りそうで曇っている春の夜の月。
霞んでいるかと思ったらそういうわけでもなく、「風さえて」は完全に冬ですし、霞ではなく雪を呼ぶ雲によって朧になっているという、冬の語が並んで「春の夜の月」が仲間外れになっているような歌です。春の夜の月が寒さと心細さで震えているよう。
良経は何を思ってこれを詠んだのでしょう。彼の心象風景に思いを巡らせてしまいます。
さて、こういう時期を過ぎると春が来るんですが、春の始まりにふさわしい歌を最後に。
石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(志貴皇子)
言わずと知れた万葉集の傑作です。
区切れなしで一気に詠ませる躍動感あふれる大変リズムの良い歌。
春の喜びに弾む心があらわれています。
明日から啓蟄ですね。
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