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冬の和歌1 冬の始まり
昨夜、11/8は立冬でした。暦の上では冬です。
(つい先日は夏日だった気もします)
新古今和歌集の冬の部は次の歌から始まります。
おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそむすべ冬や来ぬらむ(藤原俊成)
秋の終わりが名残惜しく涙に暮れて夜を明かしていると翌朝凍りつき霜が降りていて冬の訪れを知る。
上の句と下の句できれいに季節が移り変わる、よく出来た歌です。
きれいにまとまりすぎていてさらさらと流れていくようなので物足りないという感想も有り得るでしょう。
でも、冬の部の幕開けとしてはこのくらいがよいのかもしれません。
俊成の歌はやはり王道というところがあって、定家様のようにぎょっとするような妙な色艶なんかはありませんね。
今年は暖かいので関東の平野部に住む私はいつ紅葉が見られるのか、12月くらいだと思われますが、和歌の世界の冬は紅葉が散る光景から始まります。
神無月風に紅葉の散る時はそこはかとなく物ぞかなしき(藤原高光)
まあどうということはない歌ですよ(何様のつもりだ)。
そのままの意味で誤解も深読みもしようがありません。
しかし、これは新古今歌人たちの精神を表しているのです。
「そこはかとなく物ぞかなしき」
何が悲しい、こうだから悲しい、ではなく何となくどことなく悲しい。あっという間に消えてしまうその感じをどうやって捉えて表現するか。どうやって共有するか。
この歌は三人の選者が選んでいます。
おのずから音するものは庭の面に木の葉吹きまく谷の夕かぜ(藤原清輔)
音する=訪るで、風に吹かれた木の葉以外に何の音もしない=誰も来ない。
人の気配がなく、ただ風の音だけがする。
そんなことは一言も書いてませんが「そこはかとなく悲しい」を見事に描き出してると思います。
これは古今時代の歌ですが。
冬は秋に比べて恋の歌は減るかもしれませんが、花も紅葉もなくてもなかなか良い歌も多いです。