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恋愛ができない男性の追体験ツアー
奥手な男性
世の奥手な男性はどのような悩みを抱えているのだろうか
①女性と何を話したらよいかわからない
②容姿に自信がない
大分パターン化された内容。
これらに関してはある程度答えが用意されている。
①相手のいいところを褒める
共通の話題を見つける
②清潔感があれば大丈夫!
といったものでQED。(いいよね?)
これらの答えを否定するつもりは一切ない。
直感的に、間違っていない。が薄い。
プラグマティックな答えがしっくりこない人は山程いることだろう
(世の中は正論を必要としないんですよ)
自分の容姿にそれほど卑屈なわけでもない、とか
風呂に入っているので清潔感OK。で、なんだっけ?とか
金銭面の課題もあるかもしれない
地方なんかは車を持っていることが前提だったり
問題は個人個人で多岐にわたるので、
誰にでも当てはまる事例が存在するわけがない
カフェの店員さんと彼
彼はカフェが好きでよく、行きつけのお店で過ごすのが日課だ。
カフェの店員さんに少し話をする女の子がいる。
何度かレジでキャッシュして顔を覚えられ、この間話しかけられた。
彼は、彼女を意識し、恋愛関係に発展すれば嬉しいなと思った。
彼女は、彼がカフェで何をしているのかが気になるのかもしれない
それとも単に便宜上の会話かもしれない
彼には彼女が、自分と挨拶をするたびにどのような感情を抱くのかは読めない
普通に会計を済ませるだけのときもある。
ここで彼の欲求を整理してみよう。
・彼は彼女と話がしたい
・彼は彼女と仲良くなりたい
・彼は彼女に自分のことを知ってほしい
・彼は彼女のことを知りたい
しかし、彼はそれを叶える方法を知らなかった
仲良くなる方法について、インターネットで方法を調べるのも気が引ける
彼の美学とも言うべきか、
彼は恋愛を、質的・絶対的なものではなく、量的・相対的なものと考えている。
それぞれの恋愛があって、こういうふうにすればうまくいくという絶対的なものは存在しない。
彼は創意工夫によって、恋愛可能性を実現したいのだ。
論理が先行するのではなく、技術で叶えたい。
理想主義と言われるが、彼はまさにそれである。
彼は自分が信じた道を進みたい。
しかし、時間が経てど何一つ進展がない。
彼は、恋愛可能性が空から降ってくるとでも思っているのだろうかそういえばと振り返ってみても、
彼女とプライベートなことを話す時間はほとんどない
何をしているのかといえば、相変わらずPCで作業をするだけである。
うーん、どうしたことか。
確かに彼女に惹かれているが、なぜ何も変化しないのだろうか
彼に聞いてみてもなんだか的を得ず
ちょっとしたきっかけがあれば、ゴニョゴニョ
あのときはああだったから、仕方がなくゴニョゴニョ
やらないといけないことはいくらでもあるから、といってごまかす
彼は二足のわらじを歩んでいることに問題があるのかもしれない。
彼は大変野望的であり、東京に行って成功者になりたかった。
そのために彼がやるべきことはたくさんあったが、
それは感情的にしたいことではなかった。
生物的に構造的な欠陥があるように感じる
感情面の訴えを叶えてやることをすれば良いのに。
そう思えば思うほど、
彼は内面で感情をひた隠しにしていることを自覚し、叫びたくなる
感情がハックされてしまっている事に気づいた。
理性と言うべきものか、何らかの経験的思想によってか、
彼はデッドロックに陥っていることを認識した。
思い起こせば、彼は、如何ともし難い大いなる存在によって、
束縛されているのではないかと考えることがあった。
そうした客観的で柔軟な分析は彼の長所ではあったが、
柔軟な思考というのは、実は変えがたきを変えられない思考との裏返しなのだと思っている
何かを許容することについては優れているが、
妥協案すら許してしまうきらいがある。
それは叶えたいことを諦めることができることを意味し、
これこそ、彼の陥っている状況の正体であった。
それらが知らず識らずのうちに彼を縛る鎖となって絡みつき
やがては抜け出せない檻と化すのである。
彼を言い表すとするなら、
合理化によって、全体価値が下がるという典型であろう。
彼はそれすらも自覚的になろうとするかもしれないが、
複雑に絡み合ったものを一つ一つ解いてゆくことは、
彼の合理化とは相反する理論である。
彼は絡まったまま、強引に進み続けるのか。
何者にも縛られていなかったときのことなど覚えていない。
いつの間にか彼は大いなる者の思惑によって動かされているようだ
不合理で現実的なこと
人は、原点回帰を欲するのだろうか
彼の陥っているのは一種の流動性の罠である。
ぐるぐると回りながら、下の方に引きずり込まれるような状態かもしれない
こうした問題に対して、彼は沈黙するか、
闇雲に何かに手を伸ばして、やっぱり違うといい、諦めとする
つまるところ、彼の抱えている問題は、彼のいる枠の中では解決できないのである。
彼の変質した合理性のもとで、体が作り変えられてしまっている
体がこういうふうに動く、でも感情は全然こっちを向いていない
という困った事態だ。
持って生まれたプログラムはそう変わらない
リバタリアニズムの巨匠ケインは次のように説く
"私はこれらの決定されていない自己形成的行為あるいはSFA sが人生の困難な時期、自分が何をすべきか、何をなすべきかということについて複数の競合するビジョンの間で引き裂かれるときに生じると思う。"
SFAsとは自己‐形成的行為self-forming actionsのことである。
脳が沸騰するような不安定な状態だと、カオスが活性化して、その瞬間、神経回路が再編されるといった内容が続く
非科学的で理論的でもないが、言わんとしていることはわかる。
ふつふつと煮えたぎるような感情なくしては、
自身の性格形成を新たに作り変える事ができないのだ。
周りを見渡せば、激動の人生を送ってきたような人はいるような気がする
彼らは自身の結果を持って証明しているにも関わらず、
それがどのように達成されたのかきっと説明できないだろう
なぜなら彼らは、SFAsによって以前とは全く異なる人格を形成しているのだから。
一方、彼にSFAsが起こるほどに潜在的な火種が眠っているかといえば、それはわからない。
おそらくそれは無数の変数によって日々更新されるもので、結論、運によるのだろう。
彼にできることは、地道に変数を調整していくことだ
そして、マグマのような感情に恐れず飛び込んでこそ、脳がとろけるような自由な意思は開かれるのかもしれない
最後に
こうすればモテるとか、違和感しか無い、
モテるために読んでねーし!って憤慨するような人に贈ります
マグマを。