知っている理解している共感しているは全て別
例えば
友人Aが「オウム真理教」について学んでいる。と言っても教義ではなく、当時の事件の詳細や社会的な影響を調べていたとする。そのことを知った共通の友人Bがこう言ったとしよう。
「Aさぁ、なんか怖くね?」
この場合、ゴボゴポッと私の中のマグマが疼く。「怖いって、何が?」
「いやなんとなくさぁ」ドロドロ、漏れ出してきた。
相手が縁のない他人であればどうでも良い事だが、友人がバカになり下がろうとしていたら、一応止めるくらいのことはしたい。以下、会話の流れ。
なんとなくで怖がることないんじゃない。
いやでもオウムだよ。
入信したわけ?
いや、それはないでしょ。
興味はあるのかもな、でも知ろうとすることは悪いことじゃないだろ。
興味ある時点で怖いじゃん。
なんで?
え?
知らないままでいる方が怖いだろ。
これ以上言えることはない。
実際に入信したり行動が変容したりしたら怖いけど、なんとなく、で怖がるなんて愚かとしか言いようがないし、それで陰口を叩くなんて性根が腐っている。友達が腐るのは嫌だ。逆に、俺が腐ろうとしてたら当然、叩き起こして欲しいと思う。