自転車泥棒(Ladri di biciclette)
自転車を盗まれることは今のローマでもきっと珍しいことではない。しかし今なんかと比べ物にならない、戦後すぐの市民にとっては大事だった。
イタリア敗戦後すぐの、まだまだ荒廃しているローマを描いている。Casa publica(公共団地)が郊外の何も無い更地に建てられていて、失業者がたくさん職業安定所の周りでわらわらし、自分の名前が呼ばれるのを待っている。奇跡的にも仕事を紹介されたリッチだが、「自転車が無ければ仕事は他の奴に譲る」と職員から言われてしまう。しかしリッチは自転車を質屋に出したばかりだった。
家族で協力して、どうにかこうにか自転車を手に入れ仕事が始められた矢先、すーーっと自転車強盗にあう。(タイトルが「自転車泥棒」だから、いつ盗まれるんだろういつ盗まれるんだろう、とはらはらさせる、そんな映像作りも巧み。)自転車なんか盗まれるのはローマで日常茶飯事なので、警察はあてにならない。市場で堂々と盗難自転車たちがわんさか売られている。彼は息子と自力で、盗まれた自転車を街中探し回るが、とうとう見つからず途方に暮れる。そこに放置された自転車が目に入る。主人公は、自分の息子が見ていないうちに、さーーっとそれを盗んでしまうのである。非情が非情を生む連鎖、ネオレアリズモの骨頂である。
主人公演じるランベルト・マジョラーニとその子供のエンツォ・スタヨーラは、デ・シーカ監督が自ら見つけ出した演技未経験の素人。ランベルト・マジョラーニなんてまんま失業者の人を、彼はそのまま物語の人とした。ネオレアリズモはつまり、演技なんかする必要ないという概念なのだ。
デ・シーカ始めネオレアリズモ作品を作った監督たちは、映画に夢を売る役割を求めなかった。そしてそれは当時のイタリアでは当初うけなかった。イタリアの庶民は貧しくて、生活のリアルさなんて映画に求めていなかったのかもしれない。ヴィスコンティの「ベリッシマ 」では、アンナ・マニャーニ演じる主人公が野外映画を見て、ロマンチックなストーリーに夢ごごちになっている。そして貧しくて苦しいけれど、”娘をいつかスターに!”それだけを希望に生きている。
「ネオレアリズモ」という言葉が最初に生まれたのはヴィスコンティの『郵便配達は2度ベルを鳴らす』だ。この庶民のリアリティを求めた芸術、それはそもそも最初は上流階級的発想だったのかもしれない。
しかしその後デ・シーカという貧困層出身の監督が、1946年『靴磨き』を、1948年『自転車泥棒』と典型的なネオレアリズモ映画撮る。彼らしい人情味のある視点で、下層・上層、そして国内外の人々に、訴えかけられた作品になっていると思う。
増村保造が昔どこかに書いていた、
「ヨーロッパでもっとも知的なのはフランス人、もっとも人間味があるのがイタリア人」
かなり主観的だが、そんなイタリアが溢れ出る映画がデ・シーカの作品だと思う。
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この映画中、主人公がなけなしの金で子供に去勢をはって、想定外の高そうなレストランでMozzarella in Carrozzaを食べさせるシーンがある。(本当はPizzaを食べさせるつもりだったのに、思わず入ってしまったのはRistranteでPizzaがおいてなかったのだ)子供が絶対好きなもの、のびるチーズ、こういうのを本当に美味しそうに食べる子供の姿は、いい。この映画の唯一ほっとする場面である。(そして父親は息子にワインを勧める)もともとはナポリとか南イタリアの食べ物みたいだけれども、これを見ると食べたくなって我が家ではときたま作る。夫も子供の時お母さんに作ってもらったらしい。(あの人はTrentinaだけれども)私の子供は今のところまだそんなに好きではない。
◉Ricetta
Mozzarella in carrozza
<材料>
・なす(スライスし、塩胡椒してオーブンで焼いておく)※これはナス入りのものですけど、普通のは無いです。最近ナスが美味しいのでいれました。
・Mozzarella
・食パン(本当は食パンの方がいいんですけど、昨日は無かったので自分で作ったパンで作っちゃいました。ヘリも切った方が食べやすいですよ)
・卵3つ
・牛乳 大匙1敗
・アンチョビ
1. 食パンを好きな大きさに切る
2. Mozzarellaをスライスし切った食パンに乗せ、ナスとアンチョビものせてもう一つの食パンで挟む
3. 牛乳をまぜた溶き卵に2をくぐらせて、周りに小麦粉をつける
4. 揚げてできあがり。