和の国 江戸可愛い「菊廼舎」のひみつ 銀座花伝MAGAZINE Vol.41
#銀座一番の理由 #老舗「冨貴寄」 #先達の教え #夫婦愛 # 蝋燭能
銀座の街路樹にそよぐ5月の風は、新緑の香りを運んで実にさわやかだ。中央通りの街路樹は、和名は香りが出るという「香出る」(かづる)に由来したカツラの樹。とりわけこの季節から初夏に向けて甘い香りを放つ。
少し影のある路地に佇んでこの風を全身で感じると、都会にいても自然が無為に私たちに語りかけてくれる瑞々しい声が聞こえて来るようだ。
銀座の街から、また一つのランドマークが姿を消す。銀座4丁目の「三愛ビル」は、「五重塔」をイメージしたビルだったが、老朽化とともに2023年3月から解体が始まった。精密機器やカメラなどを製造するリコーの創業者・市村清が戦後まもない1946年(昭和21年)に建設、「和光の西洋式建築にはない、日本の美意識を取り入れた建物を」と五重塔をヒントに総ガラス張りの円筒形ビルを考案、建築したビルだった。
時代とともに創業者の熱い想いは消えていくことになるが、日本の美意識に心傾けた人物がいたことを街の記憶として残しておきたいと思う。
銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。
1特集 和の国の「口福」江戸菓子 人気の秘密〜
-創業130年「銀座 菊廼舎」店主・女将の美意識ー
プロローグ
まるで春の訪れを祝うかのように、目の前に「赤富士」が現れる。左の空にはそれよりもやや薄紅色に染まった「鯛」がおめでたさを奏でている。富士の裾野から峰に向けて翔け上がる「鳥」はツバメだろうか。麓には湖の深淵な「水面」を思わせるさざなみと「松」の競演。彼岸桜の花びらが重なり合って舞う姿もひときわ美しい・・・。樹木の間を遊びまわるヒバリの声まで聞こえてきそうな感動的な世界がそこにある。
(*季節等により絵柄内容は異なります)
わずか直径15センチほどのその中に、日本を象徴する美しい自然を閉じ込めたような小さなアートが広がっている。詩歌などに造詣の深い方なら、花鳥風月などと表現するかもしれない。風雅で、詩情あふれる風情はどこか懐かしく、そして可愛いらしい。日本にある優れた材料を用い職人の手によって巧みに表現された世界、それが人の心を湧き立たせる。老舗「銀座 菊廼舎(きくのや)」謹製 江戸菓子「冨貴寄」(ふきよせ)がそれである。
不思議なのは、茶事の風格を感じさせながら、この世界が実にポップで躍動感に満ちているという点である。その躍動感はどこから来るのだろうか。どんな仕掛けがこれほどまでに菓子にストーリーを語らせるのだろうか。そこには、130年という長い時間をかけて精魂込めて銀座を代表する江戸菓子にまで進化させて来た老舗「銀座 菊廼舎」歴代店主の心意気がある。
その物語を訪ねてみよう。
銀座の中の「和の国」パワー
銀座4丁目にある和光の西洋建築を背にしながら、晴海通り沿いにある鰻の老舗「竹葉亭」を通り過ぎると、右手に細い小道「あづま通り」が現れる。その名はこの辺りの町会名が“東町会”であることに由来しているらしい。小道の入り口に立つと、正面間近にGINZA SIXのひさしビルが聳え立つのが見えるくらいだから、この通りの長さはそうはない。
あづま通りは小道ながら、老舗の呉服小物店や、和菓子店、カフェに混じって新興の洋菓子店が軒を連ね、変化に富んだ楽しい雰囲気を醸し出している。とりわけ左手に「三原小路」(みはらこうじ)を発見した時は、心が浮き立つ。美しく清められたこの地に鎮座する「あづま稲荷」を讃えて鮮やかな朱色の幟が賑やかにはためいているからだ。
この場所は第二次世界大戦後には銀座のメインストリートとして発展していたという歴史を持つが、当時、三原小路に火災が頻発したことから、町会の人たちが困り果てその対策の一環として土地の由来を調べてみると、一角に昔稲荷が祀られていたことが判明。そこで、京都伏見稲荷大明神講中を町会で作り、あづま稲荷大明神と命名し、銀座の氏神様である山王日枝神社に祈祷を願い盛大に祀ったところ、火事が発生しなくなった。それ以来この稲荷が霊験あらたかであるとして手厚く遇されるようになったという。今や美しく整備され、街の人々の清めの心を感じる場所になっている。
そんな謂れ深い通りに、明治時代より伝わる老舗「銀座 菊廼舎」はある。
突き抜けた「活気」
あづま通りの角地に半円を描くように老舗の入り口が見える。一際明かるい陽射しを感じるこの店の店頭からは、今日も女将の華やかな声が聞こえてくる。この声を耳にすると、それに誘われて思わず店に入りたくなる。不思議な店である。 暖簾をくぐると、まず最初に江戸風情のデザインに現代のポップな要素を加えて彩られた、金糸を帯びたホワイト、深い紅色、透明感のある青紫の美しい缶が並んでいるのが目に飛び込んでくる。その缶にはシルバーで抜かれた江戸縁起柄が施され、デザインの色目にセンスが宿っている。周囲に目を移すと、壁には打ち物や押し物の干菓子を作るための桜の木型だろうか、職人の手による年季の入った道具が掛けられていて、一眼で歴史ある老舗であることが分かる。
奥では、「銀座 菊廼舎」5代目の井田裕二店主が、今日お客様にお出しする上生菓子を一意専心に作っている。店中の空気がこの五代目店主と女将が創り出す生気で満ち溢れていて、この店の印象は一言で言うなら「活気」そのものなのだ。
長いコロナ禍を経て、銀座の老舗専門店には心なしか元気を失っているところも少なくない。その中にあって、この突き抜けた「活気」はどこから来るのだろうか。
今や、銀座手土産ナンバーワンと言われるこの老舗の人気菓子・江戸「冨貴寄」。今年(2023年)2月、日本菓子界のアカデミー賞とも言われる、「NIPPON OMIYAGE AWARD」(大臣賞)を受賞して益々人気は高まるばかりだ。加えてTV番組「マツコの知らない世界」で江戸風情あふれる文様の美しい缶が紹介されると、いよいよ青天井の評判を呼んで品切れ続出の状態である。
しかし、この状況を有難いとしながらも、五代目の姿勢はいたって冷静である。こんなお話を伺ったことがある。
「爆発的な時ほど気をつけなければいけないと思うところがあります。かつて、4代目が店を切り盛りした時が丁度高度成長期真っ只中で、バブル経済に乗じて全国に店舗数を一気に増やしたことがあったんです。何せ、量だけは作っても作っても売れるんですよ。まさに量に追われる経営で.......、でもそういうことは長くは続きません。それを見ていて気づきました。量を追わず、一個、一個丁寧に専念する菓子業が結局は長続きするということなんだと」
商いをしながら一番願うことは? そうお尋ねするとこんな答えが返ってきた。
「銀座にお客様が来てくださること。そのために店を頑張ってるところがあります」
老舗店主が愛した ギンメシ
目の回るような毎日の商いの中で、どんな風に気力を維持されているのだろうか。
こんな質問を五代目にさせていただいた。
お昼ご飯はどうされてるんですか?
「お昼は食べないんですよ。なかなか時間が取れなくて。」
全くですか?
少し答えづらそうに、頭をふりながら苦笑いをして話す表情は母親に叱られている少年のようだ。
銀座の多くの専門店・店主が日々の商いに忙殺されて、昼休みを取ることすらできないという話はよく聞くが、朝早くの仕込みから一日中の立ち仕事、さぞかし体もきついのではと心配してしまう。しかし驚くのは、「仕事が楽しくて仕方がない」という表情で毎日の和菓子作りに向かわれていることである。そうしている内に、お昼ご飯を食べるのも忘れてしまう、というのが実際のところなのだろう。
筆者には、店主のお昼ご飯からその方の仕事の美意識や人生が見えてくる面があると信じているところがあるので、更なる答えを待っていた。
偶然時間が空いた時にもし行くとすると、と前置きをしながら、
「あえて言うなら、つばめグリルのハンバーグ。あの、美味しさ、すごくないですか!特に、アルミホイルを広げたときの湯気が広がり目の前にハンバーグが現れる感じ。私にとっては感動もので、食ベる度に嬉しくなるんですよ」
目を輝かせてそう話してくださった。
銀座は老舗洋食店が多い街としてよく知られているが、創業93年のつばめグリルは、その中でもハンバーグ一品に絞って特化した稀有な店として人気が高い。新橋駅に近いところで創業して、その当時(1930年代)に特急列車名から名付けられているからだろうか、店名や雰囲気からもレトロな感じが漂う。新橋駅につばめ号が停車しなくなることをきっかけに地元ファンの希望でその名を残すために店名が付けられたという話が残っている。
五代目が感動したのは「ハンブルクハンバーグ」、この店一番人気のハンバーグだという。1974年ごろ、「もともと魚や肉をアルミホイルに包んで蒸し焼きにするパピヨット料理をヒントに生み出した」メニュー。当時から開けた瞬間に熱々をイメージできるアルミホイルの演出が人気を博して、一気に店のナンバーワンになった名物料理である。
食べて実感するのは、国産挽き肉のパテの新鮮さとかねてより名物料理だったビーフチューがシナジーを起こして他では味わえない極上の逸品であることだ。
アルミホイルの演出に感動したという五代目のお話を伺って、「背伸びをせずに、お客様への目の届くところで知恵とセンスを絞る」そんな商いの姿勢に共鳴されているのではと想像してみたりした。まさに、その感動の中に「銀座 菊廼舎」の精神が宿っていると感じられるからである。
江戸粋・可愛い「冨貴寄」人気の秘密
話を「冨貴寄」に戻そう。
菊廼舎の「冨貴寄」菓子缶の蓋を開けた瞬間、プロローグに記した景色が目に入って、「わ〜〜!」という、晴れやかな声が湧き上がる。この江戸菓子を手にすると誰でもが発する感嘆の声である。
アップデートし続ける菓子
何種類くらいのお菓子が入っているんでしょう?
「一缶に三十種類の菓子が入っています。もともとは、菊廼舎の二代目が茶事の干菓子にヒントを得て考案したものなんです。本来の茶事の菓子のことを「吹寄せ」って言いますよね。そこから登録商標「冨貴寄」という命名が生まれたと聞いています。二代目は、日本橋で和菓子の修行をしていたので、料亭などに出入りすることも多くて、茶席の干菓子などから新しい菓子のアイディアを思いついたんでしょうね。それから全国の郷土菓子を集め、素朴さそのままにちょっと上品さを加えて今の菓子の原型をアップデートして行ったのだと思います」
創業130年というと、この間戦争の時代もありました。
「昭和17年からは戦時中でしたから、三代目は海軍に召集されることもあって、2、3年 店を閉めざるを得ないこともありました。ただ、戦争から帰ってくると、持ち前の芸術的センスで「書」や「絵画」を盛んに嗜んでいまして、冨貴寄の缶のデザインまで起こしてくれて、それが今お客様から美しい缶と喜んでいただいているデザインの柄なのです。」
それから冨貴寄は、代を重ねるごとに進化し続け、全国のお菓子を探し求めては、干菓子に限らず、新たな小麦粉を使った菓子などのバリエーションを加えながら押しも押されもしない銀座を代表する銘菓として知られるところになったというわけである。
お気に入りを見つける 愉しさ
「冨貴寄」は謂わば30種類の小さな干菓子(ヒガシ:粉や砂糖を固めて創った水分の少ない菓子)の詰め合わせだ。
干菓子の代表と言えば、寒梅粉やはったい粉などに砂糖や水飴を加え、型に入れて打ち出す「落雁(和三盆)」だが、「菊廼舎」の世界を織りなす主人公、富士山、桜をはじめとする花々、金魚、亀、などには華麗な彩色が施されていてこのアートの美を際立たせている。和三盆は口溶けがよく、どこか風雅な香りには心がときめく。
秋の缶になると、紅葉や菊、松葉などを「雲平」(うんぺい)だろうか、寒梅粉に蜜などを合わせ練り、型で抜いた透明感のある干菓子が風情を加える。
この他にも、ボーロのような口当たりの瓢箪や豆菓子、落花生細工、クッキー風の菊の紋章やロゴ入り、砂糖掛け大豆、紫蘇や胡麻が施されたクッキー、砂糖漬け果子、州浜などなど一缶に三十種類もの菓子が入っているというのだから、総て言い当てるのは至難の業である。しかも四季折々の移ろいが表現されるというバリエーションにはただただ驚かされるばかりだ。
筆者の好物は、いわゆる「最中」の皮のような食感のある「麩焼煎餅」の類。数が少ないのでなかなか見つからないのだが、出会えた時の喜びはひとしおである。自分の好みのお菓子を探して、缶を覗き込む時の楽しさは他の菓子では味わえない。
〈粋〉のルーツを訪ねてー江戸菓子の誕生前夜ー
この「冨貴寄」を生んだ美意識は、創業者から歴代の店主たちのどのような生き様から生まれて来たのだろう。そんな思いを抱きながら歴史を辿ってみることにした。
創業は明治23年ごろ、今から130年前。当時の銀座界隈の大ニュースといえば、前年に初代「歌舞伎座」が竣工していたこと。それまでは、市村座、新富座など座元の名前や地名をつけるのが劇場のならわしだったのが、「歌舞伎座」という劇の存在そのものに光を当てた斬新な劇場が出来上がったのである。外観は洋風ながら、内部は日本風の総檜造。まさに、江戸からつながる日本の美意識と明治の文明開花がもたらした西洋化が合流した、文化の交差点を体現している建物であった。
同時期に生まれたこの老舗と歌舞伎座には何か縁があったのだろうか。
「実は、初代の井田銀次郎が銀座尾張町(現在の銀座4丁目付近)で歌舞伎煎餅という菓子屋を営む前に、歌舞伎座の裏で悉皆業(しっかいぎょう)をやっていたらしいんです」
5代目が記憶を辿りながら話してくださったのは、この老舗の美意識と店の名前にまつわる興味深い物語だった。
江戸歌舞伎 粋の洗礼
「動く錦絵」と称される歌舞伎。個性豊かな歴代役者たちの演技に対し、舞台を華やかに彩る豪華な「衣装」の役割はそれと同じくらい大きい。元々歌舞伎は、江戸幕府開府と時期を同じくして誕生した演劇で、400年日本独自の美意識の中で発展してきた。当然衣装の悉皆(しっかい)は江戸時代から歌舞伎文化に寄り添う大切な仕事だったのである。
悉皆業とは、歌舞伎役者や舞踏家などが着用する衣装の洗濯や修繕を行う職人のことを指すが、かつては「衣更え屋」と呼ばれていたこともある。衣装の洗濯だけでなく染めや縫製に精通した職人も多く、生地である正絹や演目の知識はもとより、粋に観せるための長襦袢などの決まり事も熟知していることが求められたといい、加えて役者に合った衣装作りや直し、小道具として使われる小裂作りなど、舞台衣装に関わる全てを担う欠かせない仕事だったのだ。
それに付随して美意識を学ぶために日本画の知見も求められたようである。この地は江戸幕府の奥絵師であった狩野探幽はじめ狩野四家が屋敷を拝領し狩野画塾を開塾していた場所。明治の近代日本画壇に影響を及ぼす多くの絵師を排出したことでも知られているから、日本画を学ぶには最適な地の利があったわけだ。
初代はそうした歌舞伎が発する「粋」を体現できる人物だったのだろう。悉皆業を商っていたのは、歌舞伎座の裏あたりだというから、今の木挽町界隈である。当時の歌舞伎界は、「團菊左」と呼ばれた九世團十郎・五世菊五郎・初世左團次が揃って出演する盛り上がりで、常に劇界をリードしていた頃だ。江戸の役者らしさを残していたのが中でも五代目菊五郎が一番だと評判が立っていたというから、悉皆の作業が終わるのを待つ間、これらの役者の間では「あれは粋だねー」などと、さぞかし世間話に花が咲いていたのではと想像する。
その間に、初代は茶菓子を振る舞い、客の心を和ませていたという。目利きの人物ならではの嗅覚でどこやらの美味しい菓子を探し当て、あるいは自ら作り、提供していたのだろう。その茶菓子が評判を呼ぶほど美味しかったというから、人の才能というのはどこで開花するのか実に分からないものである。
その店の周りには、多くの「菊の花」が咲いていてそれは見事だったという。それに由来し「菊廼舎」の名がついたと聞く。
そして、初代は我が意を得たりとばかりに、「歌舞伎煎餅」の店に転身することになる。歌舞伎煎餅とは、今でいう瓦煎餅のような菓子だったようである。
受け継ぎながら、進化させる
初代から4代目まで続いた店のバトンを、126年目に父親から受け取った5代目。それぞれの代の店主が個性を生かした菓子作りをしてきた気風を見事に受け継ぎ、古い慣習に縛られない柔らかな感覚で挑戦し続ける姿勢が板についている。
「老舗だからこうでなければならないということがない家風で。私の父なんかは、海外の刺激を受けてマカダミアナッツをまぶした「揚げまんじゅう」を売り出しました。代が代わる度にその時代の空気に合わせた、自由な菓子作りができたことが「銀座 菊廼舎」の強みなような気がします」
いつも、「愉しそうに仕事をする」5代目の表情の秘密が分かるような気がする逸話だった。
とはいえ、5代目の菓子の進化を止めない、店として生き残るための探究心は驚くほど。「そもそも菓子とは何か」、「そもそも江戸の粋と現代の銀座のモダンを融合する道とは」、「その時代のお客様の感性とは何か」と日々その問いを求めて精進する毎日が続いている。
先達の教え ー出すぎない、菓子の美学ー
その一途一心(いちずいっしん)の思いを持って、ある日、日本橋にある老舗和菓子店「榮太郎総本舗」(安政4年(1857年)創業)の先代に問の答えを求めて相談したことがあったという。
「菓子はね、主役にはなれないんです。あると暮らしが潤うな、あるといいな、という性質のもの、出過ぎないが肝心」
と、先代は含蓄のある言葉をさらりと答えられたという。
「榮太郎総本店」といえば、日本橋の魚河岸に集まる人々を目当てに、屋台で金鍔(きんつば)売りをはじめ、そこで蓄えた財をもって「榮太樓總本鋪」を創業、それから150余年、創業に大きく貢献した金鍔、さらに梅ぼ志飴や甘名納糖など、初代が創案したお菓子に工夫を重ねて、最高の材料で愛情を込めて菓子を作るを信条にして進化し続ける老舗である。今や様々な店がこの老舗の恩恵を受け同種の菓子を生み出しているが、栄太郎の味は本物の素材の味がするとの評価が高い。どんな時代にあってもお客様のために『親切に作り、親切に売る』を心掛ける商いの姿勢に学ぶべきことは多い。
「その問を考え、理解するために、私たちは働いているんですよ」
日々「もっとこうだったらいいかもしれない」という問と答えを繰り返すー
そのプロセスこそが私たち菓子屋の働く意味だ、と教えられたという。
「菓子はどうあるべきか」「江戸の粋と銀座のモダン」「お客様の感性」とは。
すぐには見つからない、時代で変化するその問の原点を指し示され、目の前に道が開ける思いがしたという。
「分からないことはすぐ聞きに行っちゃう性格で(笑)」
銀座の仲間の専門店店主も〈菊廼舎の五代目主人は、腰が低くて勉強家〉と感心する。この賛辞こそが、実はこの老舗の信用を支える最大の証なのかもしれない、そう思える職人気質を感じさせる5代目の人柄である。
日本人らしい 五感に訴える芸術を眼前で
時代の変わり目に、一早くECサイト(通信販売)に力を入れたことで、客は「冨貴寄」を手軽に、クリック一つで手に入れられるようになった。全国どこにいてもこの老舗の菓子を手に入れることができ、裾野が広がったことは間違いなく大きな成果である。
しかし、と5代目は言う。
「四季の移り変わり、その時の菓子の表情は、やはり店頭で見ていただくことでより一層良くお伝えすることができると思っています。特に、和菓子は五感の芸術。花や草木、季節を絵柄で味わい、日本に伝わる自然の素材の味を皮や餡子によって舌触りとともに味わう、そこに生まれる芳ばしさも賞美の楽しみです。」
そんな和菓子づくりの臨場感を体感してもらうために、店の奥で和菓子づくりのライブを毎日お客様に向けて披露している。
春が近づくこの2月に、「銀座五感散歩ライブ」イベントで訪問した際に、特別の趣向として季節先取りの(上生菓子)「山桜」づくりの職人芸を披露していただいた。その一コマをお伝えする。
店主による、職人芸和菓子づくりライブ
その昔、王朝人の花の宴(桜の宴うたげ)や、桜狩大和絵に描かれている桜には山桜が多い。花梗(かこう)滑らかで花いろは純白なこの春の風物詩を、白餡に淡紅、濃紅を混ぜながら調整していくところがこの日目にすることができた妙技である。そこに、遊び心あふれるスッキリした江戸粋の風を注ぐのが菊廼舎調だ。
5代目は、深紺色に屋号「銀座 菊廼舎」の文字がくっきりと刺繍された半被の出立ちで菓子台に向かう。肌寒い日だったが、「今年は桜が早そうですね。3月になってようやく店頭にお出しする桜の生菓子を本日は季節先取りでご披露したいと思います」と話されながら、白生餡、求肥や水飴を加えて練り上げられた白餡を、手のひらを使い手際良く円形に広げていく。餡が渇かないうちに仕上げていくのが、腕の見せ所だ。
練餡を作る
餡の色目を重ねていく
手のひらや指のはらを使いながら、やさしい色目になるよう混ぜ合わせていく。
細工を施す
ここからの、三角棒、竹べらで細工を施し多彩な形を表していくその過程は、まさに手先の芸術である。
山桜の花ひとつ 出来上がり
優美な弧を描くように細工された桜の花びら。おしべやめしべまでも想像できる細やかな表現には、山桜の可憐さと華やぎをあわせ持つ日本の美が漂っていた。素早い手捌きにも感心しきりである。目の前で繰り広げられる日本の伝統の手技の中に、デフォルメしたスッキリした美を感じるのは、江戸粋を体得した5代目の美意識のなせる技ではないか、そんな思いがした。出来立てを口にした途端広がる、優しい餡の舌触り、ほのかな甘い香り。日本の春をいち早く感じる贅沢な瞬間であった。
5代目の職人としての信条は、
「心を満たす絵付け師であれ」だという。
主役ではない菓子は、お腹を満たすためでなく食べる人の心を満たすものだという熱い思いがそこには込められている。
琴瑟相和(きんしつあいわす) 女将との二人三脚
この老舗が活気に満ち溢れていることは冒頭で触れた。その理由は、5代目の人柄もさることながら、なんと言っても銀座で名物女将として定評のある、幾子女将の笑顔のおもてなしである。
イベントの当日も、いつもと変わらない快活な表情で私たちを出迎えてくださった。その日纏われていた着物は、季節先取りの「桜」総柄の訪問着である。ライブ和菓子のテーマ「桜」ともリンクする、実に心憎い演出で、参加者を楽しませてくださった。
「私の実家が商家だったものですから、朝から晩まで店に立つのは当たり前でした。私自身はお菓子の専門的なお話をすることができないので、せめて、気持ちよく明るい気分でお店にいらしていただけたらと、そればかりなのです。5代目の仕事ぶりをとても尊敬しています。職人技を磨くことや、新しい商品を常に考案する探究心、銀座若手メンバーとの関係作り、など店内での仕事以外にもとびまわる毎日です。五代目が創り上げた数多い商品の中から、お客様にとって一番お似合いのものを選ぶお手伝いをできればとお声かけを大切にしています。」
店内は、そんな幾子女将の「気」がスタッフ一人一人にまで行き届いていて、実に気持ちのいい接客ぶりにいつも感心する。商品をゆっくり選ぶことができるように、カウンターには椅子が用意されていて、現在はコロナ禍で中断しているが、試食をさせてくださるという心遣いも嬉しい。
筆者は先日、日頃お世話になっている方への贈答として、「冨貴寄」を選ばせていただいた。先方がオフィスで小分けできるようにと、既存の缶入り冨貴寄の他に、小袋状態になったいくつかの菓子をその上に組み合わせ、特製の風呂敷で花びらのように包むことを提案してくださった。表裏で色の異なる無地のシンプルな風呂敷を使って、結び目から出るリボン部分のその他の部分との色違いだけでを魅せるというシックさに感動した。
今回は一方の色が「鶯色」の風呂敷を選んだが、この他にも艶やかなピンク色、気品の紫、深紺色、イエロー・ブラウン・グレー系など大きさも色もバリエーション豊富で、感謝の気持ちを日本文化と色で表す「和の国」ならではの贈りものになると思った。
エピローグ
弥生時代に、果物の甘味は特別なものとされ、間食に果物や木の実を食べる習慣が生まれ、そのことから「果子(かし)」が菓子の始まりとなったと伝わる。
一般に最古の干菓子の一つとされる落雁は、『源氏物語』(平安時代)にそのルーツを辿ることができるが、主菓子(生菓子)とともに惣菓子と呼ばれる干菓子が定着するのは江戸元禄を過ぎてからのことだという。 例えば、砂糖菓子は11代徳川家斉の時代、諸大名から幕府への献上品の中に九州の大名から梅、銀杏の砂糖漬けがあったと記録にある。当時九州が砂糖の生産地であったことが窺い知れる。
全国各地から、名産品と銘打って幕府に集められた和菓子の数々。それは、その土地ならではの農作物や生活習慣、伝統までも透かし見える文化の伝達となって今に残った。まさに食の伝統文化である。
21世紀の銀座で、全国の干菓子を中心とした郷土菓子を集め、「菓子」の文化をひとつの缶に敷き詰めてアートのように表現し続けてきた、老舗 菊廼舎の「冨貴寄」。
私たちが、缶を開けた瞬間に感じる「懐かしさ」と「可愛さ」は、江戸時代につながる甘味への記憶、人々の昔の暮らしでの憩いの時間の追体験であるのかもしれない。
銀座で最も愛されているこの和菓子が語る、ストーリーと躍動感が銀座を訪れる一人一人の手に渡されている風景を想像して、なんだか心がほっこりした。
定休日等はインスタグラムでご確認ください↓
2.銀座花伝情報
◆ 灯に浮かび上がる、蝋燭能「通盛」
ー陰影煌めく幽玄能へのいざないー
蝋燭能をご存知ですか?
室町時代から伝わる演能「蝋燭能」に出会う、またとない機会が銀座にやってきます。
舞台周囲にいくつも置かれた蝋燭の揺らぐ灯りの中で、わずかな光に目を凝らしながら装束の錦糸銀糸の表情を感じる醍醐味。ほのかな灯の中で能楽師の面の動きや所作も闇の中に浮かぶような幽玄さを濃く照らし出します。かつて蝋燭が屋内の照明だった時代を想像し、見えない部分に相形を探す感性を研ぎ澄ましながら、能を楽しむ空気感を体現できる稀有の能舞台のご案内です。
この度、「坂口貴信之會」(9/16 in 観世能楽堂)において蝋燭能「通盛」のシテを勤められます観世流能楽師シテ方・坂口貴信師より上演にあたってのメッセージを戴きましたのでご紹介します。
~蝋燭能「通盛」の上演について~
『平家物語』や『源平盛衰記』にある平通盛と小宰相局の物語を題材とする作品「通盛」。戦乱の世に引き裂かれ、添い遂げることが叶わなかった夫婦の生き様を描いています。
前場は、舞台上は鳴門の海。舟の篝火は、暗い夜の海岸で僧が読経をする灯となり、通盛と小宰相局の霊を成仏へと導く灯火。闇夜に釣舟の篝火がそっと灯る鳴門の情景を照らし出す趣向は、蝋燭能ならではの心に響くシーンです。
後場では、武将の霊が戦に関わったため、死後に修羅道という地獄に落ち永遠に苦しみ続ける有様を見せます。笛・小鼓・大鼓に奏されて通盛の霊が苦悩を表す「カケリ」という場面から敵と戦い最期を迎える様を見せる場面までが、後半の見どころの一つです。〈通盛〉の主題は、しみじみとした夫婦の情愛。小宰相局の入水の様子、戦い前夜の二人の語らいなど胸にせまる情景も合わせてお楽しみください。
一期一会の能舞台をどうぞお見逃しなく!
【公演情報】
第11回坂口貴信之會 公演
チケット発売開始 5/9(火)10時〜↓
◆世界遺産・法隆寺で野外オペラ ーオペラ「トロヴァトーレ」〈吟遊詩人〉 ヴェルディ
世界遺産でオペラ上演を開催している、さわかみオペラ芸術振興財団主催の2023法隆寺公演のご紹介です。時間を味方にする長期投資とその果実を文化や芸術・スポーツ・寄付などに回し成熟経済を発展させてきた財団は、これまで、国内の世界遺産において名古屋城天守閣にて「トスカ」「蝶々夫人」、奈良県平城京跡にて「トゥーランドット」、姫路城にて「道化師」など数々の野外オペラを手掛けてきました。本年は世界遺産法隆寺にて、野外オペラ「トロヴァトーレ」〈吟遊詩人〉を上演します。
世界の若きアーティストに門戸を開くオーディションに取り組むなど、次世代のオペラ歌手たちを育成するための希望の光にもなっている本公演。
この機会にぜひ、一夜の夢、聖徳太子ゆかりの法隆寺とオペラの共鳴をご体感ください。
【公演情報】
ジャパン・オペラ・フェスティヴァル 2023 法隆寺公演
野外オペラ 「トロヴァトーレ〈吟遊詩人〉」 ~炎の復讐劇~ 全4幕 ジュゼッペ・ヴェルディ作
詳細及び公演チケットお申し込み↓
3. 編集後記(editor profile)
「銀座にお越し頂きたいから、商売に励んでいる」という銀座菊廼舎5代目の言葉を伺い、日本を愛し、銀座の街を愛している店主の一味同心の情熱を感じた。我が店が光り輝いていたら、きっと街も輝くに違いない、だから「自分の店の商いに磨きをかける」という志に聞こえる。そこには、誠実に商いに情熱を傾ける5代目の人間力を見る想いがした。
「一灯照隅」(いっとうしょうぐう)
ー隅を照らすような小さな灯火でも、その灯火が十、百、万と増えれば、国中を明るく照らすことができる、比叡山延暦寺を開いた最澄が唐から持ち帰った言葉だと伝わる。ひとりひとりが自分が置かれている環境で精一杯努力することが、自分の周りをも照らすことになり全体にとって最も貴重であるという教えだ。
激動の銀座の街で生き残る老舗の多くが同じ想いを共有している。しかしその中でも、新しい商いの風を常に発信し続けているこの老舗には、和の国パワーがあふれている。
五感の芸術・和菓子だが、この老舗の和菓子には「六感」が備わっていると思えてならない。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感の他、身体にそなわった感覚器官を超えて、もたらす直感ーあえて言えば、物事の本質をつかむ心の働き「気」とでも言うのだろうか。
和の国パワーの耀きに出会うために、老舗を訪れるーそんな新しい時代の商いのあり方を「銀座 菊廼舎」は指し示しているのかもしれない。
本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子
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