蝋燭能 世阿弥の平家物語 銀座花伝MAGAZINE Vol.48
#世阿弥 #平家物語 #小宰相局 #能 #通盛 #夫婦愛 #坂口貴信
12月は「限りの月」。一年の最後を飾る呼び名そのままに、銀座4丁目のライトアップは限りを尽くしての豪華な趣向の舞台が始まるかのようだ。
中でも日本の伝統工芸・綴織をモチーフとして建てられたGINZA PLACEビルは、雪とクリスマスをテーマに赤く輝くオーナメントを思わせる装飾が施されていて、どこかほっこりとした和と洋の競演だ。
銀座中央通りに並ぶ店々は、シルバーやゴールドが煌めくモールの表情を街中に放っているようで、道ゆく人々にー年の終わりのエールを届けている。
銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していく。
◆能のこころ 「蝋燭能」 蘇る室町の幽玄世界
ー観世流シテ方 坂口貴信の能舞台「通盛」レビュー
そこには芒洋たる海原にただよう燐火(りんか)を彷彿とさせる、まるで一幅の日本画のような景色が広がっていた。
室町時代、能の大成者である観阿弥・世阿弥は、河原や空き地あるいは神社の拝殿などで現在の能の源流である仮舞台を設え、演能するのが常であった。時には、海縁に簡易な舞台を設え、広大な海を借景して演じていたこともあったと伝わる。貴族たちの邸宅に舞台が造られ、橋掛かりを据え現代に通じる常設舞台が定着し出したのは、室町時代の後期。それらの時代の灯りは篝や蝋燭によるものだった。舞台の周りにそれらの灯りが設えられると、仄暗さとゆらめきにより往時の情緒を漂わせると言われる。
2023年9月16日、観世能楽堂(GINZA SIX 地下3階)において、室町時代の演能の原点を感じさせる蝋燭能「通盛」が蘇った。『平家物語』や『源平盛衰記』にある平通盛(たいらのみちもり)と小宰相局(こざいしょうのつぼね)の物語を題材とする作品「通盛」(井阿弥作。世阿弥改作)、戦乱の世に引き裂かれ、添い遂げることが叶わなかった夫婦の生き様と鎮魂を描いている。
観世流・シテ方・坂口貴信師が満を持して挑んだ能舞台は、仄暗い揺めく灯りの中でこそ表現できる一幅の墨絵を思わせる格式高い美意識と息を飲むような奥深い音色に溢れていた。
感動を呼んだ能舞台のレビューをお届けする。
ー文責 岩田理栄子ー
さめざめと始まる、日本画の世界
観世能楽堂は、全ての照明が落とされ漆黒の闇の中にある。
やがて舞台の周りに設けられた燭台に灯(LEDにより蝋燭の明るさ、揺めきなどが模されたもの)が灯る。
舞台はすでに徳島・鳴門の海である。篝火(を模したもの)を乗せた漁舟があり、その中に漁翁(前シテ:坂口貴信師)と女(前ツレ:観世流・シテ方・谷本健吾師)の姿がある。僧たち(ワキ、ワキツレ)はその篝火を借りて、この地で果てた平家の人々への経を手向け始める。儼乎(げんこ)たる経に耳をすませ聞き入る二人。映画のストップモーションのように、その姿は微動だもしないかのようだ。
美しい日本画を切り取ったような風景。
声を上げて高い調子で謳われる、いわゆる上歌(地謡)が、観る人々を時空を超えて彷徨う魂の世界へと一気に引き込んでいく。
何も動きのない情景の描写、10分以上もありそうな能らしいゆったりとした時間が仄暗い灯りの下、美しい詞章の地謡に包まれて流れる。地謡の中に身を置く舟上の二人は、これから語られる残酷な物語を予感させる物悲しさをまとっているように見える。
平家一門衰退の経緯を語り始める漁翁と女。一ノ谷で戦死した夫・平通盛(たいらのみちもり)本人と、その後を追ってこの浦で入水した小宰相局(こざいしょうのつぼね)である。
極限の「静」の世界に響く、連吟
前場は登場した構図から一切動きがない。
静かな海の舟上に漁翁(シテ)と女(ツレ)の二人はひたすら佇み、聴こえてくるのは僧の読経と二人の語るような謡だけである。
演者二人が舟上に佇み続けるという「動きのない」前場は言って見れば難しい場面である。しかしながら、低音域を主体とする漁翁(坂口師)と高音域を中心とする女(谷本師)の連吟における声色の高低、強弱、張りなどの絶妙な交流が、その情景を観客に飽きさせることなく緊張感を漂わせながら格調高く味わい深く見事に描ききっている。
舞台本番に先立って8/30に開催された「読んで味わう世阿弥と能」第3回(築地本願寺講座/林望氏with坂口貴信師)において、坂口師は次のように言われた。
「あまり上演されることのないこの能「通盛」。修羅能でありながら風情をもたらす表現が貫かれています。しかし前場では、舟の上に乗りつづけている人物の動きがほとんどないため、そこに「風情」を表現することはかなり難しいのです。そうした意味で謡こそが聞かせどころ。シテとツレがともに謡う連吟では、漁翁に寄せて謡うのか、女に寄せるのか、役柄の音の上下をどちらに寄せるのか、色気、音の幅、張り、など微妙な工夫によって表現を決定して行かなければならないという緊張感があります」
その工夫が見事に結実していたように思われた。
伸びやかで色香のある女の声を支えるように幅のある漁翁の声が重なる。その奥妙さが愛する妻への思慕にも聞こえて、その心地よさに身を任せたくなるような優美な謡が海に響いていた。
通盛と小宰相 入水シーン
漁翁(シテ)と女(ツレ)による小宰相の入水自殺の件(くだり)は、最初土地の伝承のような、あるいは他人事のような語り口から、次第に自らの身の上を語る迫真の様に変わっていく。
緊張感が増すこのシーンで女が遠くに目を向ける、その時の面の表情、そしてシオリ(泣く所作)。これらに感じた溢れ出る悲壮感や切なさは、漁翁と女の連吟における妙技があったからこそ一層浮かび上がったに違いない。
声が重なることでこれほどまでに人物の心情が豊かに表現されるようになるとは驚きだった。仄かな灯かりの中だからこそ、「見えないもの」の先にある人間の心情を汲み取ろうという感覚が研ぎ澄まされたのかもしれない。
能は想像の芸術であると言われる。観客の想像力で舞台は完成することを的確に表した言葉だ。能の美は謡7分、型3分などと言われるのは、目よりも耳に届く表現にこそ想像力を掻き立てる秘密が潜んでいることを指しているから。今回の能は「謡9分」とも言えるくらい謡の比重が大きいと感じた。その意味において、美しい詞章の本作品「通盛」は蝋燭能という舞台演出に最も適していると思ったのは筆者だけだろうか。
前場ラスト 暗闇に浮かび上がる「面の表情」
前場のラストシーンは思わず胸が締め付けられる。
女は入水の決意を固めると阿弥陀如来のおわす西方浄土を希求する。季節は春。夜の霞があたりに立ちこめ、月が没するあたりも涙とともに霞んで見えない。いや決意はしたものの、自らの命を絶とうとする悲しみの涙は押さえようもなく溢れ、そのために景色が見えないのかもしれない、と謡う。
漁翁は乳母の心情になり代わり「泣く泣く取り付き」、同じように愛する人を亡くした悲嘆は平家の舟の中に満ちあふれている、あなた一人ばかりではないのだから(*1)、どうか思いとどまって欲しい、とすがりつくが、女はそれを振り切って海中に没してしまう。
(*1)小宰相はこの時身ごもっている。
女の右袖に手をかける漁翁、それを振り切り舟から飛び降りる女。その時漁翁には、あっという心で鋭く面を動かして見回すような所作が伺えた。探しても見つからない女の姿に呆然として面を上げる。その後同じく舟から飛び降りた漁翁は、心ここに在らずという風情で沈んでいく。
前場の見所。
女の面は「小面」(こおもて)。当時の年齢が19歳だったということから、ことさら初々しい美に彩られていた。装束は死装束を意識してだろうか、明るい照明の下では眩しいほどの艶があるであろう紅入唐織、摺箔、この出立ちが漁翁の風格ある「三光尉」の面との対比でことさら魅了される。
不思議なことだが、面の表情が通常の照明のある舞台よりこのわずかな光の下での方が鮮明に目に映るのだ。それは見手が研ぎ澄まされた芸が持つ迫力を、全身で感じようとする意識がはたらくことから生まれるてくることなのかもしれない。
また、筆者は幸いなことに脇正面の最前列で鑑賞していたので、前場では舟のつくりものが脇正面に据えられ、演者の二人に特に間近であったこともあって、仄かな揺らめく光の中に装束の錦糸銀糸の煌めく表情を目にする醍醐味も味わうことができた。
世阿弥が求めた 切磋琢磨する熟達(風姿花伝)
ところで本舞台を3ヶ月先に控えていた時期に、坂口師に本作品への意気込みを伺った(本誌に寄せるメッセージとして)。
「平 通盛の妻の小宰相局は、「三人の会」同人として共に活動する谷本 健吾が勤めます。お互い芸に真摯に向き合い高め合ってきた舞台が、多くの皆様に届くことを念じて演じます」との言葉。
そこには切磋琢磨することにより生まれる芸の向上こそが、世阿弥が求道した芸のあり方だ、という能楽師としての強い心意気が込められているようだった。
前述の講座「読んで味わう世阿弥と能」第3回(築地本願寺講座/林望氏with坂口貴信師)において、国文学者の林望氏が「芸は切磋琢磨である」という点について、風姿花伝(第三 問答条々)を紐解いてその本質を解説してくださった。
林望氏は答えの前半に対して、
「人間であるから、上手といえどもどこか欠点はある。反対に下手でもいいところの1つや2つはあるものである。見る実力を持つ人でないとこの点は分からないのである。そして、上手な人ほど自分の欠点がわからないものである」
と述べ、それを受けて答えの後半で世阿弥が最も伝えたかった求道のあり方について、
「慢心していては、結局自分のいいところも分からない。上手でも失敗はある。それを見て“あれほどの名人でもあのような状態になるならば、自分などはもっと足らないに違いない”と思い、反省し、精進することが肝心である。つまり、自分一人では決して上達はできないことを心に刻むべし」
と世阿弥が強調したと述べられた。
なるほど、蝋燭能「通盛」の前場での、暗がりの中しかも動きがない非常に難しい場面を味わい深い風情あるものにしたものは、芸磨きを切磋琢磨し続けて高みに達した二人の能楽師のその結晶だったのだと思い至ったのである。
武将の霊、修羅場の翔(カケリ)へ-後場-
僧(ワキ)が入水して消えていった通盛夫婦を弔うと、武将姿の通盛が橋掛かりから現れる。一ノ谷で戦い討死した平通盛その人の霊である。前場の漁翁風情から一転して面は公家らしい品格ある「中将」、装束は梨子打烏帽子、白鉢巻、厚板、長絹に紋腰帯をして太刀を携えた艶やかな勇士の出立ちである。小宰相(ツレ)は白装束の霊として僧の前に姿を表す。そして戦いの一部始終とともに、二人の別れのシーンが再現される。
武将姿の通盛(シテ)が床几に腰掛けて合戦の様子を語る場面が2、3分、その後立ち上がって小宰相に向き合って舞台に直接座り、二人で語り合った合戦前夜を再現する場面となる。
通盛の高ぶる心を表し、笛、小鼓、大鼓が途中からテンポを上げる場面は、心優しい通盛の人となりが表現され、修羅道の苦しみ以上に愛情への妄執といった印象が鮮明に表現さているように見てとれた。
修羅道の苦しみを描く
この作品の中で最も修羅能らしい場面で、通盛は太刀を抜いて奮戦する有様を見せる。扇を盾にし、重章を斬りつける戦いの最中、組み付いて反り返って膝をつく所作は実に見応えがあった。討たれる瞬間の迫力は、修羅物ならではの緊迫感に満ちていて、前場の「静」で蓄えられたエネルギーが一転して迸るような心揺さぶられる場面である。坂口師の迫力のある演技を堪能できて気分が高揚した。
鎮魂に手向ける
武将通盛は戦いに関わったために、死後に修羅道という地獄に落ちていく。そして永遠に救われない苦しみに喘ぐ定めを負う。
通盛は死に際に僧(ワキ)に向かって弔いを頼む。それはまるで、殺傷を繰り返した自身の僧への懺悔であるとさえ感じさせるのである。
木村源五重章と通盛がさし違えて命を畢えるまでが鮮やかに演じられた、最後の場面。相寄る二つの魂が僧の読誦する法華経の功力によって救われていく。実に詩情あふれる心が浄化されるようなラストであった。
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鑑賞を終えて
能「通盛」は「平家物語」を知らないと理解の深まりが得られないと言われる、見手にとってはやや難しさのある作品である。時間の逆転や、通盛と妻の小宰相が前場と後場で主人公が入れ替わるように錯覚する場面もある。この高度な作品の完成の背景には、作者・井阿弥の作品を世阿弥がかなり手直したということがあるようだ。
前述の講座において林望氏は、「申楽談議」に「通盛、言葉多きを、切り徐け切り徐けして能になす」と記されていることを示して、
「世阿弥がカットしてカットし尽くして半分くらいにして出来上がった作品。そしてこの作品の出来栄えをことさら気に入っていた、という様子が『申楽談議』から読み取れる」
と話された。
しかし、もしかするとやや高度で難解な部分も、仄暗い「蝋燭能」という舞台の中だからこそ、理屈を超えてより風情を呼び起こしたのではないか、芸術的な謡の透明感と重奏感、そして豪華な装束の文様が仄暗い揺らめきのある光により深い陰影を伴って煌めき浮かび上がったからこそ、見手をより一層感動させたのではないか、と思える。
終演後会場が明るくなった帰り際、誘い合わせて鑑賞をご一緒した方からこんな感想が漏れた。
「装束の模様までよく見えて。本当に綺麗でしたね。あんなに繊細に見えたのは初めてです。胸に迫る美しさでした」
筆者はその言葉を聞いて、我が意を得たりと思いながら、更にため息が出るほどの美しい場面を思い起こした。
それは後場で、梨子打鳥帽子に長絹、大口袴で太刀を抜いた通盛と唐織姿の小宰相が向き合うシーンである。修羅能であるならば、本来通盛の装束は武者姿であるはずの場面に公家風情を際立たせ、優美さを備えた世阿弥の演出。
どこまでも通盛と小宰相の夫婦愛を描き切ろうとした、世阿弥の美意識がこの1シーンに凝縮している、そんな想像が働くほど心奪われる美しいシーンであった。
◆編集後記(editor profile)
平家物語の底流にはいくつかのテーマがあるが、中でも物語の「芯」と思われるのは「驕れる者久しからず」だと言われる。
短期間のうちに平家は歴史の表舞台に躍り出て、天皇家や、宗教界、武士階級、庶民階級などの秩序を崩しながら、政治の主導権を握り勢力を確固たるものにして行き、各勢力のハブとしての繁栄を築いて行った。ところが「福原遷都」によって勢力均衡の要の役割を分断してしまう。遷都の失敗を悟った平家一門は再び京に戻るが、その最中平清盛が病死する。平家没落の道筋は平家物語に詳しいが、その衰亡の原因は「平家の驕り」であったと歴史は伝える。
そして面白いことに、能の大成者・世阿弥も人間の「驕り」について、「慢心」という言葉を使って、芸の上達を阻害する要因について「風姿花伝」で述べている。
「驕り」と「慢心」。
それは時を超えてなお21世紀になった今日においても、私たちの心中に棲む「闇」のようなものかもしれない。それを払拭するために、日常的に心を浄化する努力が求められているのだ、と今回の能を鑑賞して改めて痛感させられたのである。
本日も最後までお読みくださりありがとうございます。
責任編集:【銀座花伝】プロジェクト 岩田理栄子
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