グラミー賞ノミネートの新星・挾間美帆「ジャズを化石にしたくない」⁉︎
(AERA dot.より引用)
既存のジャズの概念を超え、飄々とその
地平を広げていく。昨年のグラミー賞にノ
ミネートされた次代の旗手・挾間美帆。
7月30日に東京芸術劇場で開く公演を前に、
話を聞いた。
* * *
――米ジャズ界の新星・挾間美帆が東京で今
月開く公演のテーマは「スプラッシュ・ザ・
カラーズ!」。カラーズには「人種」の意味
合いも含む。
曲作りのとき、カラフルにいろんな色が散
らばっているイメージが頭から離れなくなり
ました。
そして、色は人種のアイデンティティーや、
時代背景、あるいは個人の人生の背景など、
とても多くのものを描写できることにも気
づいたんです。
■先輩が切り開いた道
――1950年代に渡米し、現地で活躍したジ
ャズピアニスト・穐吉(あきよし)敏子の
「ロング・イエロー・ロード」など、タイ
トルに色が入った曲を演奏する。
自分も黄色人種ですし、穐吉さんの「イエ
ロー」が表すものは何かを考え、調べたら、
彼女が米国で歩んできた長くつらい道のりに
ついて言及しているコメントを見つけました。
私もニューヨークに住んでいて、人々が分断
されていくことや、怒りの矛先が無実の人に
向かうことへの恐れはあります。
しかし、自分の置かれている環境は「長くつ
らい道」とはほど遠い。
曲にして表現しなければいけないほどの苦痛
は、どれほどのものだったのだろうと思います。
――「ジャズマン」という言葉が対義語もな
く跋扈(ばっこ)するほどの男社会。
米国ではそこに人種差別も加わった中で、穐
吉らは音楽をつむいできた歴史がある。
米国でも、穐吉さんの時代は、着物を着な
いと演奏させてもらえないということもあっ
たそうです。しかも、はだけていたらいい。
人種差別だけじゃなく、性的ハラスメントに
も当たる。
今のところ私にはそういう経験はない。
そういった意味では、苦労をして切り開いて
下さった道の先に、今の自分の創作環境があ
るんだと痛感します。
――5歳で作曲を始めた。
国立音楽大学に入るまでは、クラシック一筋
だった。
小さい頃からあまのじゃくだったから、「こ
ういう演奏がコンクールで通りやすい」とか
、そんな指導に影響されてたまるか、って思
っていたんです。
演奏と違い、作曲は上も下もないから性に合
いました。
ずっとクラシックを作っていましたが、大学
のサークルでビッグバンドに惹(ひ)かれ、
自分の作りたい音楽がこれだ、と思いました。
その後、まったく仕事がない苦しい時期を経
て、今があります。
――10年ほど前に米国に渡ってから、日本に
おける一般的なジャズのイメージの古さを、
ことさらに感じるようになった。
海外では若い人たちが新しい試みをしてい
るのに、日本のジャズのイメージはとても時
代遅れだな、という意識が強くなりました。
時代に取り残されて逆行しているような印象
があって、ジャズは黙って聞くもんだ、みた
いな感じも含めて。
到底若者がヒップだと思うようなものでは
ないと。
■化石にはさせない
でも、ジャズの歴史自体が、時代背景や
文化的な要素をどんどん吸収し、ごちゃ混
ぜになりながら発展してきているのに、日
本のジャズだけ、昔のまま止まってしまう
のは良くない。
自分が変える、というのはおこがましいで
すが、今ニューヨークで触れるものを、そ
のまま日本に持ち帰って発表する、という
のは、自分にできる責務かな、と思ってい
ます。
ジャズが化石になること、それだけは絶対
に避けないといけないですから。
1950,60年代は、確かにジャズが華やかなり
し時代だったと感じるし、昔ジャズ喫茶で
よく耳にしていて聴きやすいのも確かだ。
でも、新しい時代であろうとなかろうと
いい曲、良い音は誰だって心地よく聴ける
はずだと思う。
アメリカでは、現在でも肌の色が違う人へ
の人種差別が続いているが、穐吉敏子さん
が渡米した時代は理不尽な差別を受け続け
ていた。
それでも、ジャズに対する情熱を持ち続け
大成したことは日本人として誇りに思う。
※穐吉(あきよし)敏子
(Toshiko Akiyoshi、1929年12月12日 - )は、
ニューヨーク在住の日本人ジャズピアニスト、
作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。
1967年に現在の夫でありフルート、テナー
サックス奏者のルー・タバキンと出会い、
1969年結婚。1973年にロサンゼルスで秋吉
敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成し
、1974年ジャズと日本古来の和楽を融合した
『孤軍』を発表する。
1982年にはニューヨークへ戻り、1983年に
秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリ
ング ルー・タバキンを結成、自らの作編曲
で通算30年にわたって活動を続け世界的に
名声を馳せた。その評価と人気を示すもの
としてアメリカのジャズ専門誌ダウンビート
では秋吉とルーのビッグバンドは、1979年か
ら批評家投票、読者投票で5年連続1位を獲得。
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