「曲がった直線」って存在する?
「曲がった直線」というのは存在するのでしょうか。一つの方向からみて「直線」で、別の方向からみたら「曲がっている」線というのは、簡単に想像できます。でも、2次元空間において、「曲がった直線」というのは存在しません。2次元、つまり平面しかないところに直線を引くと、その直線が、直線であるのと同時に曲がっている、というのはありえないからです。
すると、最初、3次元空間を考えていたときには、「曲がった直線」というのは、ある意味では(つまり「直線」と言うときの観点と「曲がっている」と言うときの観点を区別すれば)存在しえたのに、2次元空間を考えると、存在しえない、となります。
すると、次が言えます。「2次元空間」「3次元空間」「直線」「曲がっている」という、これらはすべて、それぞれひとつの可能性です。そのため、「2次元空間上」には「曲がった直線」は存在しない、というのは、「2次元空間」という可能性上には、「曲がった直線」というのは描けない、ということです。この「描けない」という表現を、その可能性上に特定しえない、と言いたいと思います。「曲がった直線」は、3次元空間という可能性上では、その線を見る向きを想像すれば、特定することができます。しかし2次元空間においては、そのような可能性は特定できません。
そのため、次のように要約できます。存在とは、何らかの可能性上に、特定できるところの、何らかの可能性である。
ユニコーン(一角獣)を考えてみましょう。ユニコーンというものは、「角」の生えた「馬」という可能性上のものです。そのユニコーンという可能性は、自然界という可能性上においては、どう頑張っても特定できません。そのため、その意味では、ユニコーンは存在しません。でも、架空のお話という可能性上においては、様々に特定することができます。そのため、そのかぎりでは、ユニコーンは存在します。
昨日の投稿で、存在とは、可能性上の特定に相対的だ、としました。ユニコーンの例は、その点分かりやすいと思います。というのも、存在は、ある可能性を、別の可能性上に特定するかぎりで存在する、と考えているため、可能性の組み合わせに応じて、一つの可能性が、存在したり、存在しなかったりします。その「存在の変動」は、その可能性を、どのような可能性上に特定するのか、その特定の仕方にもとづいており、その点、特定に対して相対的、となります。
逆に、ある可能性を示されて、それをどの可能性上に特定すればいいのか分からないときには、その可能性が「存在」するのかどうか、判断できません。例えば、ある人が、レンズ雲のことを、サーフィンボードに似ていることから「サーフィン」と呼んだとします。それを知らない別の人と街中を歩いているときに、その人が、「あ、サーフィンが見えるよ」と話しても、一緒にいる人は、その「サーフィン」という可能性を、どこに特定すればいいのか分からないため、その「サーフィン」というものが、何の存在なのか、判断できません。直感的には、サーフィンは海岸(という可能性上)におけるものなので、今いる街中には、その可能性は当てはまらず、では目の前のあのお店(という可能性上)におけるものなのか、といろいろ考えますが、その思考は、「サーフィン」という可能性を、何らかの可能性上に、特定しようとするものです。それで、「何それ?」と聞くと、「あれだよ」と指差してくれて、「あ、あの雲のことね」と理解が成立します。それは、「サーフィン」という可能性を、「空の雲の様子」という可能性上に特定したからです。