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「個人の差に焦点をあてる」考え方が未来志向の建築と都市を創る
2024年4月、お茶の水女子大学に新たに共創工学部が創設されました。
「工学と人文学・社会科学の知が協働し、共に未来の環境、社会、文化を創る」という意味が込められた共創工学部の人間環境工学科で教鞭を執り、建築計画、建築環境工学を研究している長澤夏子教授に、ジェンダード・イノベーションという視点から、これからの日本の建築と都市はどのように変わることができるかなど、お話を聞きました。
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「今の最先端」では遅い「未来志向の建築」
━━まず初めに長澤教授の研究分野ついて、また、新設された共創工学部でどのようなことを教えるのか、教えてください。
私は建築学の中でも、主に建物や都市を使う「人」の研究を行っています。
たとえば、「省エネルギーで人が健康的にすごせるには」というテーマで、住まいやオフィスにおける人の行動データ、身体データ、心理データなどを環境データと合わせて工学的に扱うことで、様々な建物を評価し、それを踏まえて新しい建築計画などを行っています。
これまで工学は、技術を追求していくことで豊かな社会を実現してきました。しかしこれからは、さまざまな制限や条件が複雑に絡み合う社会となり、技術の進歩のみで経済が上向きになるものでもなく、多様性を認識し、新しい価値観を生み出せる力が求められています。
また現代社会においては、あらゆる事象がデータ化されつつあり、その波は様々な分野に変革を起こしています。文系分野でもデータを駆使した分析が用いられるようになり、また工学技術の開発でも社会にあふれるデータを活用し、そこから技術ニーズを掘り起こせるかが問われるようになってきました。
こうした時代の流れを受け、共創工学部では文理協働型のカリキュラムを設けて、共創のプラットフォームとしてデータサイエンスの手法を実践的に学びます。
工学的な技術はもちろん、その技術が社会とどう繋がり、実践できるかという点を重視しています。
━━「社会と繋がる技術」の実現にはどのような観点が必要しょうか?
社会と繋がる技術は、現在の常識で設計するのではなく、未来志向で、社会がどう変化していくのかを考慮することが重要です。
例えば、オフィスを建てるための設計資料(これまでの良い事例)はすでに沢山存在します。ただ、今後もその設計図に沿って同じものを作っていけばいいのかというと、そうではありません。
実際に、今現在から過去を振り返ってみて、未来志向が足りていなかったと思うような建物は多くあります。
例えば、現在は新築のビルディングを建てる際には、省エネのビルを建てることや、省エネの機器を入れることが当たり前と考えられるようになりましたが、かつてはエネルギーに関する視点は不足していたと思います。
そのため、「エネルギーをつかって涼しく暖かく快適なビル」が歓迎された時代もありました。このようにしてできた建物は、使うだけで大量のエネルギーを消費してしまうので、現在の社会にフィットしなくなっています。
現代にあわせて最先端のものを作ったら、将来は、今はまだ見えていない課題だらけの建物や都市ができてしまうでしょう。
未来を想像し、社会をいかに更新し続けることができるかというのは大きな課題です。ハードとソフト両面で、50年後も最先端である社会をつくるために必要とされる未来志向を、学生には身につけて欲しいと思っています。
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過去の建築と街づくりで見落とされていた女性視点
━━この数十年で社会は大きく変化しましたが、多様性を包摂する建築が実現するのはこれからかと思います。過去の建築分野や街づくりにおいて、これまでに女性の視点が活かされてこなかったこと、また、これから改善できることとして、どのようなことがあるでしょうか?
利用者に適した建物をつくるために、「人間工学」のアプローチで研究・開発がすすみましたが、男女の違いに注目される場面は少なかったと思います。キッチンなど女性がよく利用する場所や、オフィスなど男性がよく利用する場所は、その声が取り入れられてきたのだと思います。
その結果は、少数派となる男性のキッチンユーザー、女性のオフィスワーカーなどの意見はあまり反映できていなかったかもしれません。
また都市計画や建築分野では、政治分野で言われていることと同じようにジェンダーギャップが存在し、決定権をもつ女性が確実に少ないのです。企画・設計や開発者側に女性が少なかったために、開発思想からその視点が抜け落ちていた可能性があります。
女性が新しい提案をしても、決定者側の理解の不足やアンコンシャスバイアスなどで形にならなかった例はいくつもあります。また、そのような歴史の中でできた、女性の視点が抜け落ちた都市や建物で暮らすことに慣れてしまっていると、誰にとっても全てが当たり前に映ってしまいます。
そういった中でジェンダー視点での不均衡を見つけ出すのは難しいですが、オフィスに限っては、少しずつ変化が見えてきたように感じています。
たとえば、昔のオフィス研究の被験者のほとんどはスーツを着た男性でした。しかし、現在、オフィスを使うのはスーツを着た男性だけではありません。スーツ姿の男性が適温と感じる設定では、男性よりも寒さを感じやすく、体重も少ない女性にとっては寒すぎます。
女性から寒いという声がこれまでにも上がっていましたが、こういった研究は国際的にも進みはじめていて、個人に合わせた温度調整の仕組みが提案されるようになってきました。
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また働く女性が増え、女性の声が集まるようになり、建築のリノベーションや建設時のプロジェクトチームにも女性が加わることで、建築におけるジェンダード・イノベーションも少しずつ形になってきています。
授乳室や休憩室のあるオフィスも増えてきました。ただ看板を貼っただけのような部屋も残念ながらまだ多いですが、体調が悪くなった時に少しでも休める休憩室は、これまでも必要とされていたのではないでしょうか。
お手洗いや更衣室と休憩室を計画的に一体として配置し、気兼ねなく利用できるような配慮のある設計することで、利用者の心理的負担を減らすものもできています。
大切なのは、こうした設備が建築物の検討プロセスに最初から入っていることです。最初から決まっていれば、それは必要なものとして、周囲の受け止め方も異なってきます。
女性のための設備を後から貼り付けるように備えると、男性の不満の声も挙がりやすくなってくるでしょう。しかし、女性の視点から始まったものを一般化して、誰にとっても必要なものだと理解された上で設計をしていけば、建物に関する価値観も変わっていけるのではないでしょうか。
多様な人を包摂する街づくりという点では、2006年に「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー法)」が施行され、障害のある方も使いやすいユニバーサルデザインが推奨されて進展してきてきました。
性別に限らず、年齢、障害の有無など、多様な人が住みやすい都市を考える際に考慮すべき視点は多くありますが、そのひとつとして、これまで見落とされていた女性の視点を入れた分析や調査を行ない、設計に組み込むことは、ジェンダーギャップが大きいといわれる日本で意味があると思います。
実現しうる未来から考える、建築と街づくりのあり方
━━未来の建築や都市のビジョンを描いていく際に、ジェンダード・イノベーションの発想はどのように活かされる可能性があるのでしょうか?
社会が大きく変わる未来で、性差を前提とした建築や街づくりのあり方が必要だと思います。
例えば、未来予測の一つとして、人口予測を元に消滅可能性自治体が示され議論や検討が進んでいます。
消滅可能性自治体とは、2020年から50年にかけて、子どもを産む中心的な年齢層である20~39歳の女性人口が半減し、将来消滅する可能性がある自治体のことを指します。この数は、女性はもちろん、男性の生活動向や思考によって大きく左右されます。
ジェンダード・イノベーションの考え方は都市や建築計画に、単に女性の視点を取り入れる、ということではありません。しかし、男女の意向により都市や建築が変わる可能性もあるとすれば、双方の違いを知り、どちらかの視点が欠けることがなく、新しい価値を取り入れる方がよいと思います。
SFプロトタイピングという発想にヒントを得て、たとえば、男女反転した社会の想定をしてみます。これまで、あるいは現在は、オフィスで働く人は男性が多い。しかしこの割合が反転した社会では、どんな価値観が優先されるだろうかと考えてみるのです。
これを想像してみるために、女性が多い企業に注目すると、男性の多い企業とは異なる社風・文化や、困りごとも見えてくるかもしれない。その中には、こうした課題をすでに解決してきた歴史や実績、ノウハウが多くあるのではないかと思っています。
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分析結果を社会に実装するために必要なこと
━━現在、ジェンダード・イノベーションの視点を活かした建築や都市について、どのような研究をされていますか? 将来変化が起こりそうなことや、明らかになってきた点があれば教えてください。
現在、三井不動産さんと共同で進めている研究では、女性起業家の働く場に着目をしています。
日本政策金融公庫総合研究所の調査では、起業者の75.2%が男性で、女性は24.8%に留まります。女性起業家が少ない社会で、先端例でもある彼女たちが、苦労しながらも工夫をして、すでに解決してきた課題もあるかもしれません。
そこで、今回の共同研究では、男女の起業家に対する調査を行なっています。女性起業家はまだ「少数派」ですが、イノベーションのためには、はじめに先端的で数の少ない人たちの意見を聞くことが重要だと思っています。
この調査から、起業意向のある女性は住宅街で働くことを希望し、起業意向のある男性はオフィス街で働くことを希望することがわかりました。
業種にもよりますが起業意向のある人のうち、住宅街で働きたいと答えた女性は63.9%であったことに対して、男性では52.7%。オフィス街で働きたいと答えた男性は33.2%であったことに対して、女性の回答は27.8%でした。
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これまでの都市計画では職住分離で、ビジネス街は働く人が過ごしやすく、住宅街は基本的には住宅の機能と分けて良い環境をつくることを目指してきました。
このように通勤を前提とした都市だと、 生活も仕事も充実させたい子育て世代にとっては適しておらず、女性が長く働き続けづらい理由の一つにもなっています。
コロナ禍を経てテレワークも浸透してきたことを考慮すると、起業家だけでなく、全ての働く方たちにとって、 ライフとワークが近くなる街のニーズがありそうです。
また、男性の育休も以前に比べれば増えており、子育てを担う男性にも、同様の困りごとがあるはずです。
ジェンダード・イノベーションの考え方から、男女の違いから課題を発見し、それぞれを単に改善するだけでなく、新たな価値を発見したいと思います。その結果、女性をはじめ、子育てをされている方、その他の方にとっても働きやすい・暮らしやすい街づくりを目指すべきだと思っています。
「イノベーション」は、実装することが極めて重要です。そのためにも、開発者の女性が少数派ではなく、なるべくたくさんいる未来も目指していくことができればと思っています。