僕は誰かの猫ちゃんを探す
心が澄んでいるのを感じる
あんな不安だった気持ちが風に吹かれて
木漏れ日が心をぽかぽか暖めてくれている
「悲しむ顔より笑顔がみたい」
今までの僕からは想像できないほど
心は澄んで穏やかだ
…
ー15年前一
僕は20歳だった。
その時僕は沖縄県の離島『宮古島』でバーテンダーをしていた。
生まれも育ちも千葉だが
高校生の頃は両親とは暮らしておらず
僕は異母兄弟であった15歳上の兄の家庭で暮らす日も多かった。
バーをやろうと思ったのは、兄が水商売をしていた事がきっかけだったのかもしれない。
やりたい事のない僕は誰かの真似事をするくらいしかなかった。
何事にもやる気が起きず
上手くいかないことが多かった。
いろいろな事が積み重なり
すべてを投げ出したくなって遥か南の離島へ逃げてきたのだった
仕事は15時から始まり24時が定時だった
お客さんが帰らない日は朝までお酒を作っていたこともあった。
特別この仕事がしたかったわけでもない
自分のやりたい事なんて見つからず
社会からどんどん離されて
ズレていく
そんな時期だった。
やりたくない事ばかりで毎日が塗りつぶされていく
逃げた所では何も変わらない
僕は2年程で地元へ戻ることにした
それからも必死だった。
自分ではなく、周りがどう思うのか
こうしなきゃ、ああしなきゃ
こんな事ばかり考えていた、それのほとんどが裏目にでて疲弊していくばかり
毎日が早く終わればとそればかり考えていた。
好きな事はどんどん減っていき、嫌いな事や人が増えていく
仕事も住む所もコロコロ変わっていった
僕自身を変える事ができなかったからだろう
だけど励ましてくれる人もいた
今でも応援してくれる人達もいる
友人もできた
幼少期からずっといろんな人に
「〇〇君は30歳からだよ。それまでは辛抱だよ」
この言葉をよく言われた。
その言葉に期待をしていたのかもしれない。
今はまだやるべき事が見つからないだけで、見つかりさえすれば僕だって頑張れるはず。
そう自分に言い聞かせていた
それは現状に対してのいいわけでもあった。
…
日々がすぎるのは早かった
僕はいよいよ30歳を迎えていた。
僕はバイクの免許を取った
きっかけはコロナで誰とも外で会えず
1人の趣味が欲しくなったのだ
30歳の転機でなにかしたかったのもあるだろう
バイクに乗るのは楽しかった。
目的地も決めずにふらふらと走り
流れる景色を楽しむ
どれか適当な車について行ってみて
見知らぬ土地へ着くと
また千葉方面の車についていって帰る
目的地は決めない方が
スマホのナビを使わないほうが面白い
バイクに乗るのを仕事にできないか考えた
1つ思い当たる仕事がある
チャレンジしてみる事にした。
僕は探偵をはじめた。
自分からやりたいと思って行動したことなんて、これが初めてかもしれない
できたばかりの会社で社長は女性
この業界では有名なプレイヤーだったようだ。
結論から言うと探偵の仕事は楽しかった。
毎回調査が非日常的で
スリルがある仕事だった。
尾行して不貞の証拠をバッチリ撮る。
自分がダークヒーローにでもなった気分で浮かれていた
数ヶ月すると後輩もできて、どんどん楽しくなってきていた。
そして半年程たった頃…
突然に
会社が倒産してしまう。
心配かけまいと社長は僕達に黙っていたが
数ヶ月前から経営が苦しかったようだ
社長が泣きながら皆に謝っていたのが心苦しかった。
誰からも文句はでてこなかった。
未経験の僕たちをしっかりとした条件で雇い
この業界にチャレンジさせてくれた事
今でも本当に感謝しています。
無職になってしまった僕は
探偵の仕事を続けたいと思い求人を探す
すると『ペット探偵』なるものが目に入った。
とりあえずこれをやってみる事にした。
いなくなった猫ちゃんを探すのを専門にしている猫探偵だった。
僕の初成功の依頼は
お庭に来ていたイケてる野良猫ちゃんを追いかけていった乙女な猫ちゃんであった。
安心安全のお家を捨て
たまに会いに来ていた
名も無い野良猫に合うため
飛び出して行ってしまう
ロマンティックな猫ちゃん
ロミオとジュリエットみたいだ
僕は夜中
日付が変わるまでずっと捜索した。
飼い主さんも心配で眠れないようで
ずっと家の灯りがついていたのが印象的だった。
飼い主さんに必ず見つけると
絶対大丈夫だと伝えながら
午前3時ぐらいまでやったかな
また日付を改めて捜索伺うことにして切り上げることにした。
そして次の日
その子は無事に帰ってきた。
飼い主さんにとても感謝してもらえた。
どれだけ僕の言葉に救われたか
夜中必死に捜索してくれたことがどれだけ支えになったのか
飼い主さんはとびきりの笑顔で伝えてくれた
人にこれだけ心から感謝されたのは久しぶりだった。
ちがうな
初めてだった。
本当に
本当に初めてだった。
もうこの仕事にやりがいを感じていた。
思えば僕は助けられてばかりだった気がする
今度は僕が誰かを助けられる
そこからは振り返るとあっという間だった。
脱走して半年後に保護できた猫ちゃんや
すぐに見つけて手で捕まえた猫ちゃんもいた
倒れてた所を間一髪で保護した猫ちゃんもいた
3ヶ月程してテレビに出演する事にもなった。
自分がテレビにでている
「悲しむ顔より笑顔がみたい」
そう話す僕を僕が見ていた
初めてみた画面越しの僕は
充実した顔をしていた。
毎日飼い主さんと一緒に
猫ちゃんを見つけて保護していく
日に日に自信とプロ意識が強くなっていった。
泣いている飼い主さんを励ましながら捜索したりもした。
お金も稼げたが
なによりたくさんの人の笑顔を見る事が
モチベーションになっていた
こんな未来想像もしていなかった
1年後
2回目のテレビ出演をした後
スタッフの方から毎週撮影させてほしいとの話があった
有り難い話だった。
しかし
詳細は省くが
僕は社長に対しての不信感が依然から拭えなかった。
結局もうこの人とは仕事ができないと判断し
このタイミングで退職するに至った。
独立も考えたが
依頼がくるかわからない不安で踏み出せず
あれこれ考えすぎてめんどうになり
すべてが嫌になるのが
僕の悪い癖だ
誰かの家族を探すのは
やはりプレッシャーが常にあった
逃げたかったのだろう
僕は
猫探偵とは無関係の仕事を始めた。
つまらない毎日だった
重たい日々が続いた。
どんどん感覚が鈍くなっていって
思考ばかりが大きくなる
空の青さもわからず
風の心地良さもわからない
猫探偵の事も忘れつつあった
そんな頃だった。
その日は千葉の市原市へ仕事で来ていた。
よく調査で訪れていた市原市
ふと見ると
猫ちゃん探しのポスターが貼ってあった
まだ見つかっていないようだった。
思い出して懐かしくなり
勝手に探してみようかと思ったが
そんな暇はもうない
自分にはもうその権利もないのだから
ただ少し
思い出せた事が嬉しかった。
それは
その日の夕方だった
スマホに着信が3件きていた
折り返してみると
それぞれ別の人からで
猫ちゃんの捜索のお願いだった。
話を聞くと
以前に僕が担当した飼い主さん達が
僕の事をいろいろな人達に話してくれていて
それを聞いて僕に直接連絡をくれたのだった。
それがその日それぞれ3人からきたのだ。
同日に
それぞれ別の人から僕の事を聞いて
別の3人から助けがきたのだ。
たまたま偶然が重なっただけなのだろうが
弱気な僕の背中を押してくれたのは
その偶然だった
「あなたに来てほしかった」
電話を切り終えると
もう決意は固まっていた。
もう一度やろう
全部自分でやりはじめた
時間がかかってもいい
目がさめた
晴れやかだった
視界がひらけていく
誰にも縛られることはなく
誰にも頼ることもない
不安もあるけど
誰かの為になるとはっきりしている
迷いはない
この決断に正解も間違いもない
心も体も軽くなっていく
ただやりたい事をやればいいのだ
僕が決めたのだから
僕がやりたいのだから
僕が助けてあげたいのだから
僕が誰かを笑顔にできるのだから