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本当にあった本と出会う話

私には、
忘れられない一冊があります。

それは『歎異抄』。

一般的な知識として
『歎異抄』の解説をしておくと、
浄土真宗の開祖、親鸞という坊さんがいて、
その弟子が親鸞に
教えについてインタビューしてまとめたもの、
くらいに思っておいてください。

浄土真宗の奥義みたいな本ですが、
角川ソフィア文庫から出ていたものを、
読むともなく「積ん読」しておいたのです。

ところが2011年3月11日(金)、
東日本大震災の日、
めちゃめちゃになった私の部屋にたどりついた時、
この本が「俺を読め」とばかりに
飛び出していました。

すがるようにして手に取ってみたものの、
早くもその第二章で
打ちのめされました。

  • おのおの十余ケ国のさかひをこえて、身命をかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御こゝろざし、ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり。

  • (現代語訳)皆さんが十余ヶ国(関東→京都への道のり)の国境を越えて、生命の危険を顧みず、私(親鸞)を訪ねて来たのは、ただ一心に往生極楽への道を聞きたいがためですよね。

  • しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をも知りたるらんと、こゝろにくゝおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。

  • (現代語訳)それなのに、「(親鸞が)念仏の他に往生の道を知ってて、ありがたいお経や教えがまだまだあるんじゃないか、それならぜひ知りたい」と皆さんが思ってらっしゃるのは、大いなる誤りです。

  • もししからば、南都北嶺にもゆゝしき学生たちおほく座せられてさふらうなれば、かのひとにもあひたてまつりて往生の要よくよくきかるべきなり。

  • (現代語訳)もし本当に知りたいのなら、興福寺や比叡山に立派な学僧たちがたくさんいらっしゃるので、会いに行って往生極楽の大事なところを、よくよく聞いてみるとよいですよ。

この突き放し感!

親鸞と
その弟子が生きていた鎌倉時代。

弟子達の住む関東から、
親鸞の住む京都へは、
徒歩か馬くらいしか移動手段がないのですから、
命がけもいいところ。

命がけで親鸞に会いに行き、
究極の教えを頂こうとワクワクしていたら
この突き放しです。

東日本大震災のあの日、
生命の危機こそなかったものの
途方にくれて救いが欲しかった私に、
時空を超えて親鸞が放った一撃。

その感動たるや、
なんと言葉にしてよいか
今も分からないです。

知識や教養として
『歎異抄』の文章を覚えているのと、
小林秀雄『無常といふ事』のように
「巧みに思ひ出して」しまうのと、
その違い。

  • 確かに空想なぞしてはゐなかつた。青葉が太陽に光るのやら、石垣の苔のつき具合やらを一心に見てゐたのだし、鮮やかに浮かび上つた文章をはつきり辿つた。余計な事は何一つ考へなかつたのである。どの様な自然の諸条件に、僕の精神のどの様な性質が順応したのだらうか。そんな事はわからない。わからぬばかりではなく、さういふ具合な考へ方が既に一片の洒落に過ぎないかも知れない。僕は、ただある充ち足りた時間があつた事を思ひ出してゐるだけだ。自分が生きてゐる証拠だけが充満し、その一つ一つがはつきりとわかつてゐる様な時間が。無論、今はうまく思ひ出してゐるわけではないのだが。あの時は、実に巧みに思ひ出してゐたのではなかつたか。何を。鎌倉時代をか。さうかも知れぬ。そんな気もする。(小林秀雄『無常といふ事』)

今も学生さんたちを
苦しめ続けているであろうこの悪文も、
今は本当によくわかる。

本に出会う、という体験は
知識や教養を
軽く超えてゆくものだと思うんです。

若いうちは、
プロの作品を観たり聴いたりして
「こんなの自分でも作れる!」と
思ったりするものですが、
似て非なる「本物」に出会ってしまうと、
本当に打ちのめされるんです。

一度でも体験してしまえば、
その後は
本当に素直に、
いろんなことを受け入れられるようになります。

それはけして、
「敗北」ではない。

プロの作品に触れて、
あれこれ文句や不満を言うより先に、
いったん受け入れて楽しんでしまいましょうよ。

どうかそこのところを、
分かっていただける方が
たくさんいらっしゃいますように。

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