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鳩と私。
鳩、それは平和の象徴。あらゆるアーティストがモチーフに使う。ピカソ、マグリット、ディック ブルーナ、映画界ではジョン ウー。ノアの箱舟のストーリーの中で、再び住める陸地を見つけてきてくれた鳩。神の使いのようなイメージさえある。これほど、優しい雰囲気を持つ生き物がいるでしょうか、と言うことで私は鳩が大好きでした。
25年ほど前、茂みの中で猫に襲われている鳩を救いました。
肩(鳩に肩があるなら)に酷い怪我をしており、歩くのもやっとな様子で、猫に襲われていた時、飛んで逃げなかったので、飛力も失われていたようでした。夜が遅かったので、翌日獣医に連れて行こうと、その日は抱いて家に連れて帰りました。平和の象徴、鳩を救ったことでちょっと誇らしかったことを今も覚えています。
血もかなり出ていたので、とりあえず、患部を消毒した方がいいと思いバスルームへ。消毒液を使った方がいいのか、水で洗った方がいいのか、迷った後、ぬるま湯で湿らせたガーゼで拭くことを選択。とにかく優しく丁寧に扱いました。んん!患部を注視したら、鳩の首元が何やら揺れている。ぎゃー!それは小さな虫がびっしりと繋がって、フリンジのように揺れていたのでした。
あまりの数に恐れをなした私は、どうしたらいいものか一瞬悩みましたが、虫に触るのも怖かったのとバスルームにいたことから、
ユニットバスの洗面所に熱めのお湯を溜めて 鳩の肩(鳩に肩があるなら)までしっかりと浸からせました。虫が怖かったので顔は明後日の方向で。
そして、看護の甲斐もなく、翌日亡くなってしまいました。
そんな哀しいエピソードを経験しつつ、初めてパリのサクレクールに行った時は、事前に旅行エッセイで読んでいた、朝食のパンを少し持っていって 鳩にあげると寄ってくる。日本の鳩より警戒心がないから。 と言うのを実践するほど鳩に興味がありました。少しちぎってパンを撒くと 鳩やスズメが寄ってくる、寄ってくる。手のひらにも乗ってくるので、調子に乗って、肩や腕にパン屑をのせてみた。
すごい集まってきた。
ところで私は15年前まで鳩は全てどこかに所属しているものだと思っていました。全ての鳩には所属があるんだと。日本の鳩は基本 神社やお寺、海外は教会。神様の使いだからそういう場所なんだな。昼間、その辺でフラフラしていても夜になったら、決まったねぐらに帰るもんだなと。たまに道にいる白い鳩を見かけると、
あ、マジックショーから逃げ出してきたんだな、その辺にいる鳩に誘われてこの辺の神社に寝泊まりするようになるんだろうな、と。
そのことを初めて他人に口にして、私の説は否定され、“野鳩“の存在を知ったときの驚きと言ったら!
野鳩!無所属の鳩!
今まで見てきていた鳩が無所属だっただなんて!!!!
この勘違いにはルーツがあります←言い訳。私の家はかなりの鳥好きで、小さい頃から鳥を飼い続けていました。
当時、庭に鳩が迷い込んできたことがあり、父が『これは伝書鳩だ、持ち主に返してやらねば』と言った言葉を勘違いして信じ込み、それ以来、鳩には帰る場所があるもんだと思っていました。
しかし、私は知ってしまった。特に神様の使いではなかった鳩、首にびっしりと虫がいた鳩。鳩への関心が急激に薄れていきました。
今ここサンフランシスコ郊外にはふらふらしている七面鳥がいます。見かけると思いの外でっかくて、びらびらしてて、色が複雑で怖いです。
ですが、鳩で学んだので、この七面鳥が無所属なのは想像に易しいです。
なんて、聞きませんよ、もう。