美人、綺麗、美しい
入部すると必ず綺麗になります。
中学に入学してすぐ、もらった茶道クラブのチラシにはそう書いてありました。
必ず綺麗になれる?ほんと?
一週間後、体育館での各クラブの入部案内で、私はそのチラシに納得するのです。ずらりと並んだ各クラブの中で、茶道部の先輩達は一際輝いていました。
すごい、綺麗な人ばっかりだ。
よし!私は茶道部に入って美人になろう。
思春期の私の美に対する思いは人一倍、丸い顔に丸い鼻、青春のシンボルという名のニキビは花盛り。もちろんモテません。とにかく自分の顔が嫌で嫌で、大人になったら整形しよう!と。
顔さえ綺麗になればなんでも手に入るはず、そんな事ばかり考えていました。
そんな私が通っていたのは中高一貫校で、部活は中一から高三まで一緒。入部すれば、綺麗な先輩たちに近づける事に私はワクワクしていました。
しかし部活の規律は厳しく、まず時間厳守、忘れ物厳禁、目上への挨拶必須。背筋は伸ばして姿勢良く、普段から身の回りの清潔さにも気を配るように事細かく指導がありました。
例えば、制服のプリーツが乱れるような大雨の日でも、茶道部の先輩たちはきちんとしていました。
後で聞いた話では、茶道部には毛氈(茶会で使う赤い敷物)にかけるアイロンがあったので、それを利用していたということです。
部活が始まると、私たち新入りはまず2人組にされました。茶器の使い方やお手前の手順など、お互いチェックし合うためです。
私は美人で明るいJ子ちゃんとのコンビを切望、もし、一緒に行動できれば、美人が私にも伝染るんじゃないかと密かに期待していたのです(笑)。しかし先生が選んだ相方は隣の組のK子さん。ぶっとい黒縁メガネの堅物タイプ。話が合いそうには思えません。
『よろしくお願いします』とお互い挨拶した後は私語を交わした覚えもありません。茶室の向こうで、J子ちゃんの組がキャッキャと楽しそうにお稽古しているのを羨ましく思っていました。
実際、K子さんは真面目で誰よりも早く部室に来て、自主的に部室を掃除、黙々とお稽古をしていました。“綺麗になれる”の邪推な気持ちで入部した私には窮屈に感じるほどです。
彼女ほど身を入れて練習をしていない私は、お稽古中に彼女から注意されっぱなしで、、、、段々と理由をつけて部活をサボるようになりました。
ある日、廊下でK子さんに会った時、
『なんでお稽古に来ないの?私を見ていてくれる人がいないじゃないの?』と詰められて、咄嗟に『母が病気で、、、、でもそのうち行くから』と嘘の言い訳をしてしまったのでした。お母さんが病気じゃ仕様が無い、、なんて、多分信じてないだろうけれど、無言で立ち去るK子さん。悪かったなあ、と思いつつも、廊下をキッチリ90度で曲がる姿を見て
やっぱ、彼女とは合わないなあ。
私はそれ以来茶道部には顔を出しませんでした。
高校3年になった春、校庭で茶道部の先生に呼び止められました。
『mamiさん、次の日曜日、〇〇県民館に来てくれないかしら。K子さん、覚えてる?彼女を含め、3人がお点前を披露する大会があるの。でも応援に来てくれる人数が少なくて。』
気乗りはしなかったですが、6年前の不義理を思い出した私は、断りきれませんでした。
当日、会場に着くと県下20校あまりの代表が順番に、毛氈の上で茶道を披露しています。チームの1人がお茶を点て、残り2人が頂く作法を見せるというルール。
K子さんは今や部長でお茶を点てる役、今日は着物で挑んでいます。着物のせいなのか、彼女がとても優雅に見えました。
ついに我が校の番です。審査員が評価のために回ってきました。応援席の私たちにも緊張は伝わってきます。
けれども、K子さんはとても落ち着いています、柄杓を持つ、茶碗を置く、茶せんで点てる、流れるような彼女の手元の動きは音楽のようでした。うっとりといつまでも見ていたいスムーズさに鳥肌が立ちます。
これはいける!優勝しちゃうんじゃないの?
と思った瞬間、お茶を頂く役の部員が緊張のあまり茶碗を手から滑らせてしまいます!赤い毛氈に広がる緑の染み。
あ。
誰もが息を呑みました。
一瞬の間があって、
静かにK子さんの手が動きます。着物の袖口からハンカチを取り出してそっと拭きあげ、審査員に向かって、笑顔でお辞儀をしました。
『失礼しました』と。
私はこの時、
美しい、という意味を知りました。彼女の着物姿なのか、仕草なのか、対応の良さなのか理由はわかりませんが、その言葉でしか言い表せないものを目の当たりにしました。
失敗して泣きそうな部員に『大丈夫だよ』と小さく声をかけ、すっと退場する真っ直ぐな背中、私も思わず頭を下げていたような気がします。
そして考えました。
美人とは、綺麗とは、そして美しいとは。
美人は顔の整った人、私が憧れたJ子ちゃん、
綺麗と言えば茶道部の先輩達。
実はその綺麗の秘密を私は部活を辞めた後に知りました。当初の入部案内の写真が学校新聞に載った時、私はあれ?と疑問に思ったのです。冷静に見ればどのクラブの学生も容姿にそれほど違いはありませんでした。では、なぜ茶道部員は輝いて見えたのでしょう。
それは普段からの身だしなみへの気遣いの賜物。雨の日の濡れたスカートをそのままにしておかない“キチンとしよう”の意識が、実際の外見以上に綺麗に見せていたんだとわかりました。
つまり綺麗は作れます←チラシ文句の意味がこの時回収されました。
そして、美しい、です。
美しさは、しばしば人間や景色の外見の飛び抜けて素晴らしさに代表されますが、私の意見としては
心を動かされるか、どうかだと思っています。
失礼を承知で重ねますがK子さんは美人ではありません、でも美しかったのです。私が途中で投げ出したお稽古を彼女は情熱を持って続けていたのでしょう。技術を学び、失敗も重ね、あんなことが起った時の対応力も備えていました。誰を責めるでもなく、その場のベストを尽くした彼女の身についた立ち振る舞い、
彼女の魂が透けて見えるようでした。
昨今、女性ばかりか男性までも外見にこだわる人は増え、化粧品は進化し、整形への敷居は低くなり、誰もが綺麗を手に入れやすくなりました。そして、劣化したと言われないように、永遠に続くアンチエイジングにダイエット、、、。美の追求は常に世の中を騒がせていますよね。
もちろん私も今でも綺麗な人に憧れたり、自分もそうなりたいと思っています。
けれど、あの日をきっかけに表面だけへのこだわりはかなり減り、考え方が変わりました。
大事なことはそこではないよ、
と黒縁メガネのK子さんが教えてくれたので。