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農業が変わる未来

2025年元旦から、40度を超える高熱にうなされて、貴重な正月休みを強制的に体内リセットに使わされ、加えて、財布の紛失と記憶の喪失に見舞われた。この出来事で私は、人間は非常に危うい世界に生きて居るにも関わらず、この世界が絶対的な世界である思っている事の危うさと、お金よりも私の情報が失われることのヤバさ痛感した。

先ずは移動の自由を取り戻すべく、車の免許書の再発行手続きをする。身分証明書として住民票を役場にとりに行ったのだが、その際、「身分証明書をお願いします」と言われ「乙」となった。役場のデータとアレコレ答え合わせをする中で、「あなたのことを知っている人は役場の職員にいますか?」と言われた私は、何かと顔をだしている農林課の「〇〇さんなら知っているはずです」というオチとなった。この世界で最強のセキュリティーは未だ実存する人との繋がりなのだ。

そんな事で、体の毒素と重たいだけの財布からも解放された新年。体の調子も良くなったところで、新たに借りる圃場を決めるために動き始めている。耕作放棄地を見つけて地主を調べる。先ずはご近所に聞くも、すでに直接知っている人がいないケースは非常に多い。となると、役場に聞きに行くわけだが、ここでは地番は特定できても所有者は明かされず、地番を持って法務局に行く。。しかし、所有者が分かったところで生きているのか死んでいるのかは分からない。そんな事をやっていると、ここでも最終、人と人との繋がりが物をいうことになるのだ。そんなことで中途半端に薄まったこの社会では、農地を探すのに毎年一苦労する。

結論から言うと、農地の所有権はその生産性を維持できなくなった時点で喪失すべきである。農地法では、農地を所有する者には生産性の維持が課せられている。庭をきれいに保つことがミッションではなく、作物を生産することが唯一のミッションだ。所有者の好みや所有欲が農地を縛るべきではない。真面目な農家は畑を綺麗に保つ努力を惜しまない。しかし、その目的が生産性の維持なのかについては甚だ疑問がある。近所の目を気にするがあまり、除草剤を撒いて「綺麗」を保つ人もいる。しかし、除草剤を撒いた田畑は作物が育ず農地としての機能を失うことになる。

今、そして未来を生きる人類が向かう先は、共有、共生、共存、各々の特性が生かされ、共に生産性を高める社会だ。がむしゃらに働いて富を得ることや独占することで安心と安定は得られない事を既に私たちは知っている。大小様々な生き物との繋がりの中でしか得られない富と幸がある事を知っているのだ。そして、パイを大きくする事ばかりに夢中になり、葬り去ってきた小さな命を再生するために、緩やかな縮小を実行する時代に私たちは生きている。

私たちが13年かけて取り組み続けている自然栽培とは、所有と独占から農地を解放し、大きな鉄の塊を必要とせず、科学の進歩の先で知り得た微生物の生態系を最大限に活用する、まさにスマート農業なのだ。農業とは、土の中のマイクロバイオームを正常に維持する仕事である。これこそが農業のもつ多面的役割の本質なのだと私たちは考えている。

農業の本質的魅力は、お金を得ることではない。自由を得ることだ。稼げる農家になることではなく、稼ぎたいときに稼げる事だ。その為には価格は農家自らが決めること、そして、最低限完成された技術とその共有が要となる。私だけが出来るレベルの技術の先に自由などない。農業従事者は奴隷ではない。安らぎと富が担保された自由人、それが農業従事者の本来の姿である。そして、日本は自由人にとって最高に恵まれた自然を有する国なのである。

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