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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 10年
2015年2月5日、日本で最初のブルーボトルコーヒーがオープンする前日、内装工事の業者さんにかなり無理を言って、何とかオープンにこぎ着けました。霙(みぞれ)まじりの悪天候で、窓辺のカウンター席がかなり寒かったことをよく憶えています。オープンの11時とほぼ同時に、仕事をお休みしたカミさんがきてくれましてね。「サクラだ」と言いながら普段は飲まないコーヒーのカップを手に、外から見えるようカウンター席に陣どって「お客さんくるかなぁ」と言っていたことが忘れられません。
11時半には最初のお客様、忘れもしないFさん親子がご来店、嬉しかったですねぇ。今でも時々ご利用くださるご近所さんですが、幼稚園だった息子さんももう高校生ですよねぇ…。10年ってやっぱり長いですねぇ…。
その後は心配をよそに、いきなり結構な混み方で驚きましたねぇ…。そう、ウチはいきなり人気店だったんです。それでも人の問題など諸々でゴタゴタして、5ヶ月半で一旦閉店、新しいスタッフさんたちと2週間後に再開したのでした。一月ほど休んで態勢を立て直そうと思っておりましたが、一旦閉店した翌日にはお二人の新規スタッフさんが応募してきてくれたんです。この二人が二段ロケットの二段目でして、見事に店を周回軌道に乗せてくれたんですね。理系大学院出身と米国のカレッジ出身で才色兼備、お友達も多く、楽しい日々でした。子育てが落ち着き、お二人ともお友達に引き継いで、フルタイムの勤務に戻っていかれましたが、感謝してもしきれません。
その後はまあ濃い〜キャラの人々が助けてくれましたから今があるのでしょう、人の縁は面白いものだとは思います。スタッフさんに関して詳述したらnoteの記事が10本20本簡単に書けますが、楽しかったことばかりでもなく、思い出したくないことも多々ありましたから、…やめときます。店舗経営というものは、なかなかに難しいものです。
まあそういうことでいけば、お客様も濃い〜方々がご贔屓にしてくださいましたから、やはり今があるわけですよねぇ…。当初は音楽を聴かせる店としてのキャラも控えめにしておりましたからね。トークイベントも全然予定になかったことでしたから、長年続けるものになるとは思わずに、求められるがままに始めたわけでした。店舗の立ち上げ時点でお世話になった方が主催するオーディオイベントを開催したときに、たまたまいらっしゃったMさんが「あなたがイベントをやりなさい」と強く推されたもので、お試しのつもりでやったら好評だったんです。
初回は2時間でやったものの、足りないとなって、次回から3時間になったのですが、初回はウチの母親まで参加しておりましたねぇ…。150回近くやったわけですが、Mさんいまだに毎回のようにご参加くださいます。本当に有り難いお客様です。それにしても、よくやりましたねぇ…。10年ってやっぱり長いですねぇ…。
昨日ご来店くださったKさんも「もう6年ほどになる」とおっしゃってましたが、ここ数年は周に1〜2度はランチにもいらっしゃいますし、イベントは毎回ご参加いただいておりますから凄い回数です。熱心にトークも聞いてくださいますから、こちらもしっかり準備して臨みます。本当に有り難いお客様です。Kさんに限らず、イベントにご参加いただけている皆さんは本当に頭が下がります。…皆さん音楽に関しては相当詳しいわけで、この人たちの前で語っていたのかと思うと身が竦む思いですねぇ…。
10年と言っても、コロナ禍の2020年21年は吹っ飛んでしまったような気分ですから、短く感じてしまいますねぇ…。コロナ前は今の倍までは行かないとしても、随分売り上げておりました。土曜日など1階までお客様が並んでおりました。…あまりに人気になってしまって、毎週末が恐怖でしたねぇ…。文字通り、行列ができる隠れ家カフェでした。もうあんなに激しく働けませんねぇ…。凄かったですねぇ…。
コロナで一転してしまいましたが、まあそこからは中央エフエムのパーソナリティも3年ほどやらせていただいたり、各種メディアにも取り上げていただいたり、有り難いこともいろいろありましたから、恨めしさと有り難さが半々のような気分ですねぇ…。必然的に老後を楽しんでいるという方向に切り替えたわけです。同時にこの10年で次々家族が他界し、店名にもなった巨猫のジンジャー君も天に召されましたから、喪失感も大きい日々だったりもします。10年ってやっぱり長いですねぇ…。
多くの方に「もう少し頑張れ」と言っていただけるだけでも本当に有り難いことです。もう少し頑張りますかねぇ…。