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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : シフトダウン

「減速して生きる ダウンシフターズ」、ジンジャーを開業した頃に何度か読んだ本です。共感する部分もあるものの、自分とは違うなぁという部分の方が多かったかも知れません。少なくとも今はそう思います。あまりに忙しくしていると、シフトダウンもありかなと思わなくもないんですけどね。マニュアル車好きな自分としては、「シフトダウンするというのは加速するとき」でもありますからね…。カラダを壊して、フルタイムで働くのは無理と思って前職を辞したわけですが、結局以前より忙しくしているようなもので、人生というスパンでものを見たとき、加速してますね、完全に。

年を取ったから減速するか、という部分ですが、還暦過ぎて現役世代ではなくなってきましたから、自分の好きなこと、やりたいことを優先するようにはなりました。自分の場合、音楽という切り口での活動が中心になってきましたから、その側面だけ見れば明らかに加速しています。問題は飲食店もやっているために妙に忙しくなってしまっていることで、音楽関連で忙しい分には何の問題もないわけです。

ただどうしても、時代感覚について行けてない部分が出始めたかなと思うわけです。アナログ屋だからと言って、デジタルに弱いわけではありませんけどね。システム関連の部署も長いこと在籍していたわけで、世の中のIT化やIOT機器の利用などの場面ではストレスを感じることもありませんが、やはり趣味嗜好を変えることは簡単にはできません。別に音楽だって、ラジオ番組でデジタル音源を使わないというのは、ただ単に個性を強く打ち出すためにやっているだけで、お店のランチタイムはデジタル音源頼みです。レコードをひっくり返している余裕はございません。リクエストが入ればかけますけどね…。

音楽を取り巻く環境の変化も、これまでは自分には都合のいいことばかりでした。アナログレコードの復権はオマケに近いものと捉えています。復権しようがしまいが、70年代80年代の主要メディアはアナログレコードだったと言う事実はもう変えられないわけで、その歴史的価値は変わりようがありませんから。

ただ、先般、ラジオ番組の収録の際に、ディレクターK氏との会話で知らされた「昨今のラジオを取り巻く環境の変化」という部分に関しては、もうどうしようもないというか、手も足も出ないことのようです。要は今の若い人たちにとって、ラジオは魅力がないかというとそんなことはないのでしょうが、ラジオに求めているものが違ってきているようなんです。もうラジオはミュージック・ステーションの機能は求められていないんですって…。求められているのは芸人さんとかのトークの方に中心が移ってしまっているんですと。スポンサーを見つけてこないと成り立たないビジネスモデルも、如何なものかと思わなくもないですけどね…。

まあ確かに、オン・デマンドでもなければ、音質が格段と向上しているわけでもありません。新しいアーティストを開拓するにしたって、ストリーミング・アプリのAIが「こんなの好きでしょ」と出してくるヤツで十分なんでしょうね。あれ、鬱陶しいですけどね。音楽の背景やプレイヤーなんかの情報はウェブで検索すれば、ある程度は知れますからね。最新の音楽情報がラジオ頼みだった時代に育った人間にとっては、寂しい限りのお話しですよ、ホント。

私のように、音楽との接し方がバック・グラウンドを含めてでないと満足できない人間も減っているのかも知れません。ビッグ・データの時代になって、分からないことを分からないままにやり過ごせる能力が求められているわけで、私の方向性は時代の要請から外れているのかも知れませんね。

じゃあどうするか、…という部分ですが、DJイベントとかも、結局のところ、時代の要請から外れていくということなんですかね。私が以前、コロナ前に月2~3回程度開催していたトーク・イべントは、まだ可能性があるように思えますね。結局情報量の多さをウェブ・ツールと競っても勝ち目はないわけですよね。勝ち目があるのは、解析力を生かしつつサブカル近現代史的な知識と相俟って記憶を刺激することで得られる楽しさとか、目の前にあるスピーカーから鳴らしたサウンドの感動をシェアすることとか、現物があることで得られる、ヴァーチャルな体験に勝る体験を提供できなければいけないわけですね…。

要は、「トーク・イベントを再開しろ」ということなんですかね…。結局現物を目の前で再生して、感動を共有するということに尽きるのでしょうか。ラジオの終わりが見えてきても、こりゃシフトダウンしてアクセルを踏み込めということなんでしょうかね。

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