清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : 1935年のビリー・ホリデイ
昨夜は猛烈な音楽好きである前職の同僚さんたちが遊びにいらっしゃって、思い切り楽しんでいただきました。フレンチ・プログレなどといった、自分には縁のないあたりのアナログレコードも持ち込み、あれこれ楽しまれたわけですが、やはりスピーカーから音を出して聴くという環境がなかなかないということをおっしゃってました。
そこで思い出していたのですが、ウチのお店の空間ってひどく不正形で妙に残響がいいんですよ。いい悪いというものでもないのですが、適度にライヴで私の好みなんです。毎日12時間ほどここの音を聴くわけで、好みでない残響だと辛いですからねぇ…。ただこういうことを感じるのは、案外残響がどうのと語るような盤でもないあたりだったりします。昨夜の鳴りは凄かったですけどね。
ビリー・ホリデイに関して、好きだの嫌いだのと言えるほど詳しくもないのですが、年をとるに連れて良さが分かるようになってきました。以前は雰囲気だけで聴いていたようなものでした。CDもアナログレコードもベスト盤で済ませていたのも、「奇妙な果実」などの本当の価値が自分なんぞに理解できるわけがないという考えに基づいてのことでした。CDも「ブルーノートから出ているんだ!」的な、興味本位に近い聴き方でした。
コロナ禍の最中に、↑ この盤を格安で落札しまして、まあ時間がたっぷり有りましたから、何度か聴いてみました。如何せん1980年にイタリアでリリースされたコンピレーションです。しかもレア・レコーディングスのVol.4などというものです。Vol.1〜Vol.3を持っているわけでもありませんし、端から期待もしておりませんでした。ところが何だかいいんですよ、コレが。アタマ3曲が妙に入ってきまして、案外好きなのかもと思い始めました。
まずピアノが気に入りまして、見たところテディ・ウィルソンが弾いております。1935年の録音です。「Eeny Meeny Miney Mo」「These'n That'n Those」「Guess Who?」といういずれも全く知らない曲です。そもそも90年ほど前の録音です。フツーにいい音で聴けることが不思議なくらい古いものです。…レコードってやっぱり凄いなと思うあたりです。まだまだ知らない、良い曲がいろいろ有ることにめげたりもしました。
ものの本によると、世の不幸を独り占めしたような人生だったということですが、1915年生まれですから20歳の頃の録音です。もう結構有名になり始めた頃ですね。大手と契約が取れ始めた頃で、イチバン勢いもあった時代ではないでしょうか。晩年のグズグズの録音でもビリーはビリーとおっしゃる方も多いわけですが、やはり若い頃の録音は素晴らしいかもですね。
この辺の音源は、当然ながらジャズ、クラシック・ジャズなどと言われる部類なのでしょうが、普段聴き馴染んでいるハード・バップ以降のジャズとは別物と認識しております。何が言いたいかというと、どうも脳の違う部分で聴いているようなんです。演奏がどうのといった聴き方もできるかも知れませんが、1935年のニュー・ヨークはハーレム辺りで鳴っていた音、フランクリン・ルーズベルトが大統領になって禁酒法改正が実現した直後、楽しくお酒が飲めるクラブなどで鳴っていた音という認識なんです。まだまだ酷い人種差別はあったと思いますが、戦前の古き良き時代の音なんです。
サブカル近現代史研究などと言っておりますが、戦前だと少々研究対象の枠外だったりするのですが、歴史というものは学んでおいて損はありません。繰り返されるという側面もありますが、時には温故知新的に古いものに触れることで見えてくるものがあります。
21世紀のビリー・ホリデイと称されるマデリン・ペルーが、美しい残響を求めて古い教会でライヴ・レコーディングした「Secular Hymns」という盤があります。こういう音源って時々ありますよね。知る限りではカウボーイ・ジャンキーズの「ザ・トリニティ・セッションズ」とか典型例ですね。残響って案外大事です。アーティストが残響を求める感覚も理解してあげるべき要素だと思います。ジャズ・クラブでのライヴ録音とヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音だと、同じ演奏でもまるで違ったレコードになりそうです。
そもそも、ニュー・ヨークのCBS30丁目スタジオって元々教会だった建物を改装したものでしたね。マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」やビリー・ホリデイの「レディ・イン・サテン」とかの歴史的名盤が録音されたスタジオです。グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」の古い方もここですが、この盤に関しては、スタジオが広すぎて云々と言われてしまったものですね。57丁目のメディア・サウンド・スタジオも教会を改装した建物でしたから、世の中には結構あるんでしょうね。
話が逸れまくりですが、要はビリー・ホリデイのレコードから、如何にも1935年のジャズ・クラブで歌っている様が目に浮かぶような音が出てきて、アタマの中でいろいろな思いが渦巻いてしまったという話です。カフェのキッチンから見える風景は、そんなBGMが雑多に嵌められているものなのです。