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7インチ盤専門店雑記755「マイケル・ブレッカー1:木場公園」

自分の最初の英会話の先生は、ニュー・ヨークからやってきたトランペッターのリック・オヴァトンという人間でした。前職でいかされた研修所の講師として知り合い、私がまだ音楽活動もやっていたので楽器を持ち歩いており、音楽好きだと知れて、直ぐに仲良くなってしまいました。来日前はラジオのパーソナリティをやったり、スタジオ・ワークも多くやったということでした。マイルス・デイヴィスのプロデューサーのテオ・マセロのサポートもやったということで、マイルスのアルバムのCD化作業が大変だったなどという話を聞かせてくれる人間でした。90年代は彼が開催するクリスマス・コンサートが楽しみでした。アルバムも2枚リリースしておりますし、パイオニアのカロッツェリアのCM曲もやっておりましたね。

彼の「マブダチ」(彼の表現です)にランディ・ブレッカーがおり、来日するたびに会いに行っておりました。毎度滞在しているホテルが、私の前職の庁舎近くにあり、会った後は電話がかかってきて一緒に食事をするのが恒例になり、ニュー・ヨークの最新事情をいろいろ教えてくれました。彼から聞く話は実に新鮮で、話題にしていたアーティストがしばらくすると売れてきたことが何度もありました。…マーク・ホイットフィールドとかはファースト・アルバムを事前にくれていたので忘れられません。

そんなある日、区民まつりの準備か何かで早朝6時半頃に木場公園の中を歩いていたところ、サックスの練習をしている音が聞こえてきました。運指がえらくスムーズで一聴して上手いなと知れる音でした。近づいて行くと、白シャツの白人男性がサックスを吹いております。ちょいと立ち止まって聴いておりました。ひと息ついたところで親指を立てて「グーッド!」と言って立ち去ろうとしたら、ちょっとしたフレーズを吹いて手を振ってくれました。どこかで見たことあるなと思いつつ、あれ、ひょっとしてマイケル・ブレッカーかもと思っておりました。

案の定、翌日あたりにリックから「飯くおーぜぇ」と電話が入り、会ってそのことを話すと、間違いないねと言われまして、ランディも「あのホテルは裏に大きい公園があって、吹いていても誰も気にしない、スタジオ代が節約できる、シティ・センターに出やすいのに宿代も安い」と言っていたということだったんです。…やっぱりねぇと思いつつ、ラッキーといった程度だったんですけどね。

…あの頃、1990年代前半頃、マイケル・ブレッカーとランディ・ブレッカーはしょっちゅう日本にきておりました。日本のアーティストのバックアップも結構な数やっていたと思います。そういうことを抜きにしても、ジャズもやればポピュラー・ミュージックもやるわけで、上手い割りにどうも安く見られていたような気がしております。もう10年も経つと、ジャズ・サックスを代表する人として評価も上昇し、2007年に亡くなってからは神格化に近い株の上がりようです。

マイケル・ブレッカーの話題が出た時は、「昔は木場公園で練習していたり、その辺にいたんだけどねぇ」などと失礼なことを言ってしまいますが、まあ大好きなアーティストです。…少し続けて記事にしてみますかね。






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