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清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : こんにちは赤ちゃん

梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」をご存知でしょうか?一定年齢以上の日本人なら誰でも知っているであろう、1963年(昭和38年)の大ヒット曲です。でも、さすがに2014年にもなると、知らない日本人もいるのかなと思います。…61年前ですからね。作詞は永六輔、作曲は中村八大、昭和のサブカルを語る上では重要なメンツによるものです。Wikipediaに実に過不足ない解説がありますので、以下に引用しておきます。

作曲者・中村の第一子生誕をヒントに永が作詞した作品である。本来はそのエピソードから永がパパの心情を歌詞にして、中村にプレゼントした曲であった。永は自身のコンサートや、後年テレビ朝日の『題名のない音楽会』に出演した際などに、「パパの心情版」のこの曲を歌っている。歌詞は、セシル・ソバージュの詩『こんにちは赤ちゃん』を換骨奪胎して作られたもの。

1963年7月6日、NHKテレビの人気番組『夢であいましょう』の今月の歌コーナーにて紹介された。原曲は上記のとおりパパの心情の歌詞であるが、歌手が女性であることなどから、ママの心情に置き換えた。

譜面の視聴者プレゼントへ週に1万通を超える応募が殺到するなどの以後の大反響から同年11月1日キングレコードよりシングルレコードが発売されると、100万枚を超える(120万枚とも)空前の大ヒットとなり、梓は本曲で同年の第5回日本レコード大賞を受賞し、第14回NHK紅白歌合戦にも本曲で初出場を果たす。

翌1964年には、5月に東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。また、第36回選抜高校野球大会開会式入場行進曲に使用された。坂本九の「スキヤキ」の世界的ヒットの直後ということもあり、同じ作詞・作曲者であるこの曲も、同年英国デッカ・レコードを通じ梓のバージョンが日本語のまま世界に向けて発売された。

1960年代半ば、この曲は日本に近いこともあり、当時のソ連極東の住民の間で非常に人気があった。

1992年6月10日、作曲した中村が61歳で死去。同年の第43回NHK紅白歌合戦で、梓は16年ぶり11回目の出演を果たし、中村を偲んで本曲を披露した。

2006年平成18年)に文化庁日本PTA全国協議会が「日本の歌百選」に選定した。

参照:Wikipedia

先日、note繋がりの某◯っしー氏がご来店くださいまして、在庫整理のお手伝いをしていただきました。その際に、彼がこの曲の7インチ盤を手にして眺めており、如何に貴重なものかを語り合ったことが印象に残りました。彼は私より10歳ほどお若いのですが、古いことに詳しいだけでなく、昭和の文化遺産的なレコードの価値に明るい方です。

さて、私は1960年3月23日生まれ、令和天皇は1960年2月23日生まれ、自分と天皇を比べる不敬をお許しいただければ、要は一月前に天皇さんが生まれているわけです。上記Wikipediaの引用にもありますが、皇室関連のイベントや活動記録は、どのような世相の中で行われたものか一瞬で分かるのが有り難いというだけなんですけどね。昭和天皇の時代、天皇は今よりも遥かに遠い存在でありなはら、皇室の話題がメディアを通してもっと頻繁に流されていたように感ずるのは私だけでしょうか。

令和天皇や私が生まれた1960年は、出生数のグラフの谷底にあたります。団塊の世代が生まれた戦後間もなくのベビーブームと、1973年をピークとする団塊ジュニアの中間です。…実は同年代が少ないので、あまり競争に晒されてないはずの年齢です。

「こんにちは赤ちゃん」は1963年から64年にかけての大ヒット、出生数の急減にブレーキがかかり、盛り上がり始めたタイミングの曲ですから、世相的にもウェルカムだったのでしょう。高度経済成長期の日本でこの歌が流行ったということは、サブカル近現代史の中で忘れてはいけないことのように感じてしまいます。

これは定価290円盤です。スリーブの写真はNHK TV「夢であいましょう」よりと付記されております。Wikiに記述がある時のものですかね。

譜面つき歌詞カード

また、譜面の視聴者プレゼントに応募が殺到ともありますが、7インチ盤の歌詞カードにも小さな譜面が刷り込んであります。また個人的に面白いと思うのは、このレコードに元の持ち主が入れたのでしょうが、「NHK」関連の冊子から切り抜いた譜面も入っていたことです。やはり歌うことを想定して購入されたのでしょうか?…ハテ、どういったシチュエーションで歌いましたかねぇ?出産を控えた妊婦さんですかね?

人口減少に歯止めをかけないとそろそろまずいと言われる現代、政治でどうなるものでもない気はしますが、日本の未来を託せる政治家がいないことも気になります。地元選出の衆議院議員が2人続けて実刑判決を受けた東京15区の補選は来週投票です。正直なところ、投票すべき人間が一人もいない選挙というのも酷いなぁと呆れております。若い世代に期待しないといけないとは思いますが、「憂国」という言葉しか浮かんでこないのは何故ですかね?「こんにちは赤ちゃん」がヒットした頃の方が、遥かに明るい未来を夢見ていたように感じて、何だか哀しくなっております。


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