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続・下町音楽夜話 0330「ドイツ語の歌」

随分昔の思い出だが、自分が音楽を聴き始めた頃、つまり小学校高学年の頃、1970年前後の話だが、その頃は英語圏以外の曲が随分ラジオから流れていたものだ。フレンチ・ポップの大ブームもあったが、イタリアのカンツォーネやいかにもイタリア的な朗々としたポピュラー・ミュージックも多かった。最初がそんな環境で、自分が好きなものを絞り込んでいく過程で忘れてしまったものが多々あることに最近気が付いたのだ。つまり好きでも嫌いでもないのだが、聴けば「ああ、これか」と思い出せる曲がいっぱい出てきたのである。

きっかけはオークションで大量の7インチ・シングルを落札してしまったことである。その箱の中には、クリーニングすれば状態のよい盤が多数あり、そのほとんどは聴かなくとも判るものだが、それに混じって「このタイトルは知っているけど、どんな曲だっけ?」という程度のものが数十枚出てきたのである。これを店の業務終了後に時々聴いているのだが、もうこれが刺激まみれなのである。まるで脳の記憶を司る部分に電気ショックでも与えているかのようで、瞬間的に強烈なフラッシュバックを伴う曲もあれば、途中から「あれ、知ってるぞ、歌えるぞ」となって、何も手につかなくなり、昔に引き戻されたりするのである。

自分は2011年と2014年に狭心症で倒れており、その頃に酸欠状態にでもなったか、2010年代の記憶がグチャグチャなのだ。2015年には前職を退いたが、最後の数年間の記憶は酷いことになっているのである。一緒に仕事をしていた人間は名前も思い出せないし、店にきてくれても、「見たことある人だな」という程度だったりする。ただ面白いことに、その一方で大昔の記憶、おそらく1970年代前半までの子供の頃の記憶が妙に蘇ってきてしまったのである。加えて子供に戻ったような夢もよく見る。目覚めたときの感触はあまり良いものではない。眠りにつく前よりも疲れているようなことも多い。

そこに加えてここ数か月、古いレコードのせいで、さらに昔の記憶が鮮明になってきた。小学校から走って帰ってきて、国鉄アパートの階段を上る景色や、アパートの前の水たまりがよくできていた土がむき出しの地面が見えるのである。当時自宅にあった家具調ステレオのつまみの感触や、レコード・プレイヤー部分の蓋の感触などもリアルに思い出せるし、初めて買ってもらったカセットテープ・レコーダーのボディの触感も蘇ってきた。当時のカセットテープは、おそらく東芝製だったと思うが、市松模様の紙の箱に入っており、その箱の蓋のヨレ具合まで見えるのだ。

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先日、強烈なフラッシュバックをくらった曲がある。ウド・ユルゲンスの「夕映えのふたり」というもので、A面が英語B面がドイツ語で歌われている。英語では「The Music Played」ドイツ語では「Was Ich Dir Sagen Will」という。これ、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」の原曲である。初代のヴォーカリスト前野曜子を擁した大ヒット曲である。そう言えばそうだった、というだけではあるが、あらためて「別れの朝」の7インチ・シングルを見てみると、しっかり「別れの朝」の文字の下に小さく「Music Play」と書いてある。かなりテキトーだがちゃんと原曲を示してあったのだ。

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ウド・ユルゲンスはオーストリア人だが、このドイツ語ヴァージョンをラジオで聴いたことがあり、その時に英語ですらよく分からない極東の島国のこぞうは、ドイツ語の歌があることにえらく驚いたのである。英語塾の先生に「先生はドイツ語が分かるのか」「あの歌を聴いたことがあるか」などといろいろ訊いたことがあり、その時のことがフラッシュバックしてきたのだ。「別れの朝」が大ヒットになったときにも、「これはドイツ語の歌なんだ」ということを自慢気に周囲に語っていたように記憶している。

日本で洋楽を聴いている限り、ドイツ語のヒット曲は少ない。1980年代になれば、ネーナやジャーマン・メタルの曲なども出てくるが、1970年代はミュンヘン・ディスコもすべて英語だった。ドイツ人ということでは、1960年代は先日も紹介したベルト・ケンプフェルトなどインストものはあったが、それ以外ではレインボウズの「バラ・バラ」やグーシーズの「ミニ・ミニ・ロック」程度しか思い出せない。イタリアやフランスに比べ、ドイツは珍しかったのである。

ちなみに「ミニ・ミニ・ロック」、世界的なミニ・スカート・ブームがドイツにまで波及したことで生まれた曲で、パロディ・ソングのたぐいである。ただ面白いのは、ここでいう「ロック」がロック・ミュージックのことではなく、ドイツ語のスカートを意味する単語だということではなかろうか。世界は広いことを思い知らされた曲がここにもあった。

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