下町音楽夜話 Updated 017「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」
コロナのせいで、毎日が苦痛に満ちたものになってしまった。それでも、お客様やスタッフの前でそういう顔をしていたくはない。何とか意識を逸らせて、必要もないほどにレコードの整理などをしているが、さてさていつまで続くのやら。未整理のストック箱の中は万年カオスだが、あまり考えずにクリーニングは進めている。ジャンル分けや年代分けなどはできるとは思っていないが、驚いたことにクリーニングの終わりが見えてきてしまった。何だか自分のメンタルヘルスのためにも、終わらせてはいけないような気もしているが、せめて何があるのか判るようにアルファベティカルに並べるところまでやってみた。
この箱には、売れるとは思えないものもいっぱいあるが、売りたくないものもある。いろいろ調べてみたくて、とりあえず品出し保留中のものも多く含まれている。つまり眺めているだけでも、結構面白いのだ。その中にエルトン・ジョン「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」の7インチ盤があることに気が付いたので、「これで一本音楽夜話を書くか」などと考えたが、「…待てよ、前に一度書いたな」と思い出し、調べたところ、やはり2007年に書いていた。しかし内容は今アタマの中にあることとは随分違うものなので、「では、もう一本書いてみますか」という気になってしまった。それではと、2007年のものをアップデートしておこうというわけだ。
まもなく、エルトン・ジョンのソロ・コンサートが武道館で開催される。彼の還暦を記念してのコンサートだということだが、彼の誕生日は3月で、当日は、ニュー・ヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを開催した。当日の模様はDVDにもなり、既に発売されている。今年は、つれあいの仕事の関係で「平日のライヴはオアズケ」ということになっているのだが、こればかりは行かないわけにはいかないと思い、来日が発表されてから直ぐに、チケットは押さえてしまった。当日のつれあいの仕事の状況次第では、いつも通りに行けるかも知れないし、ヘタをすれば一人で行くことになるかも知れない。まあ仕方ない。そこまでしても観たいコンサートなのだ。
子どもの頃からエルトン・ジョンの曲は好きで、特にロックンローラーとしてのエルトン・ジョンには随分影響されていると思う。「土曜の夜は僕の生きがい」や「ビッチ・イズ・バック」などは、繰り返し、繰り返し聴いて、聴くたびに興奮したものである。彼に関する特殊な事情とでもいうべき他のミュージシャンやバンドと違うところは、ハードなものもスローなものも、どちらも曲のクオリティが高く、非常にメロディアスで親しみ易いのである。両方ともというのは、ありそうでなかなかないのだ。
しかも、誰もが認める作曲能力の高さと多作な人間である上に、他人の曲をカヴァーすることもあり、その際のアレンジのセンスがまた非常にいいのだ。例えば、ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」だ。ジョン・レノンと賭けをしていて、ナンバー・ワンになったら一緒にライヴをやるということになっていたそうだが、その結果実現したライヴも素晴らしい結果を生んだし、歴史的な名カヴァーの一つである。
また、ザ・フーの「ピンボールの魔術師」もそうだ。この曲は多くのカヴァー・ヒットを生んだ名曲であるが、やはり映画「トミー」の中でも登場するエルトン・ジョンのテイクが最高と言うべきだろう。ニュー・シーカーズのカヴァーも大好きだったが、思い切りコケた思いをさせられるのは、ロッド・スチュアートのヴァージョンだ。あれは失敗以外の何ものでもない。
さらに面白いことに、セルフ・カヴァーでも特大のヒットを持っている。ほかならぬ「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」である。オリジナルは1974年の「黄昏のレンガ道(グッバイ・イエロー・ブリックロード)」に収録されていたが、マリリン・モンローに捧げられたこの曲を下敷きにした「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」は、惜しくも非業の事故死を遂げ、世界中を悲しませたダイアナ元英国王妃に捧げられたものである。
出だしの「グッバイ・ノーマ・ジーン」というパートが「グッバイ・イングランド・ローズ」とされるなど、歌詞は書き換えられている。アレンジはかなり哀しげなものになり、ベルサーチ好きで仲よしだったという友に捧げられたということだが、そういった事情は抜きにしても、やはりポピュラー・ミュージックを代表する最高のバラードと言えるだろう。
さて、ライヴに備えて予習かたがた、夕食後のリヴィングルームでエルトン・ジョンの曲をあれこれ聴いていたときに、オリジナル・ヴァージョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」が流れてきた。そのとき、つれあいは不思議そうな顔をして、「これ、誰が歌っているの?」と訊くのである。おや、さすがに違いに気がついたかと思いつつも、「当然エルトン・ジョンだ」と答えたのだが、自分の知っているものと違うといって納得しない。そこで、そんなに違いはなかろうにと思いつつ、ダイアナ基金への寄付ということで買ってあった「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」のシングルCDの封を切って聴かせたのである。これで当然納得するだろうと思っていたのだが、意外にも「これも違う」というのである。
そんなはずはないと思いつつ、データベースで他のテイクを探し、エルトン・ジョンのライヴ盤「ワン・ナイト・オンリー」のヴァージョンを聴かせたところ、完全に納得はしていない様子だったが、「これ…かな?」などと言っている。確かにエルトン・ジョンはよくかけていたし、以前に武道館でライヴも観て、この曲も生で聴いているのだが、自分としてはどのヴァージョンもさほど違いが感じられないと思っていたので、不思議でならなかった。
どうも歌い方が昔はすっきりしていて、最近のものは粘っこいのだというのだ。今度はこちらが納得できず、聴き比べをしてみることになった。その結果、同じ条件で鳴らしてみて、確かに歌い方が全く違う。ライヴでは普通のしゃべりに近くなるせいか、かなり巻き舌で歌っており、歌詞も聴き取りにくい。一方で、昔のオリジナル・ヴァージョンは、声そのものが若々しく、随分スッキリと聴こえるのである。同じ人間が歌っていても、こんなに違うものなのかと、面白くなってしまった。
そして、意識していなかったから全然気づいてなかったのだが、2000年のライヴ盤の歌詞は、1997年版ではなく、オリジナル版なのである。これは少々意外だった。世界的に大ヒットしたからといって、ダイアナ妃版の歌詞では歌わないということは、オリジナルでも十分に意図したことが伝わると考えているのだろうか。確かに、スターになっても人間味を失わず、自分の弱さをさらけ出し、華やかなように見えて、内面では様々な苦しみを隠し持ち、儚くも若くして命を落としてしまった2人の女性に捧げられた曲は、どちらの歌詞でも、彼にとっては同じなのかも知れない。
エルトン・ジョンは、過食症や薬物中毒など、精神的な弱さに起因する問題を抱えていた時期もあった人間だけに、いまだに元気で現役としての活動を続けてくれていることは、望外の喜びでもあるのだが、思うに、彼は自分自身にも重ね合わせて、この曲を歌っているようなところがあるようだ。以前にも第73曲で「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」に関して触れているが、世間の評価とは裏腹に、オズの魔法使いに出てくる希望の道に譬えた華やかな音楽界、社交界に別れを告げるというのだから、何とも意味深なタイトルだったわけだ。
その中で、こういった人間の内面に向けられた洞察と、やさしさに満ちた曲を歌っていたのである。知れば知るほど、感心してしまう。今更ながらに「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」は、よくできたコンセプト・アルバムだったということをあらためて認識させられた次第である。さて、武道館でのソロ・ライヴでも、さすがにこの曲は歌うだろう。2007年の秋に、「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」がどう響くか、心待ちにしている下町のオヤジであった。
(本稿は下町音楽夜話280「キャンドル・イン・ザ・ウィンド(2007.11.03.)」に加筆修正したものです)