7インチ盤専門店雑記856「涙のシンフォニー」
いやぁ、さすがに連休明けはキツかったですね。カラダが重い、重い。4日5日と仕込みをやっておりましたが、やはり営業再開となると違いますねぇ…。ついでに脳ミソもボケボケに緩んでいて、ポカだらけです。
前回ランディ・バックマンが脱退した後のバックマン・ターナー・オーヴァードライヴについて書きましたが、今回はそのランディ・バックマンが結成したアイアンホースの「涙のシンフォニー Symphony」を取り上げましょうかね。「涙の〜」「涙の〜」で笑えます。…そういう時代だったということで。
1977年のアルバム「Freeways」を最後にバンドを脱退したランディ・バックマンは、まずソロ・アルバム「Survivor」を1978年にポリドールからリリースします。…まあ売れませんでした。でもこのアルバムが面白いのは、ゲス・フーでの盟友バートン・カミングスがキーボードで全面的にバックアップしていることでしょうか。ベースはIan Gardinerという人が弾いています。…よく存知あげませんがバートン・カミングス人脈のようです。加えてボ・ディドリーのプロデュースをしていたり、スーパートランプやナックのエンジニアをやったこともあるようで、裏方志向が強い人のようですね。それから、ドラムスは意外や意外、ジェフ・ポーカロです。そして、トム・スコットが2曲でアルト・サックスを吹いております。
翌1979年、ヘヴィーロックをやりたくなりましたか、アイアンホースを結成します。かなりハードで重たい音を聴かせます。1980年、出ないだろうと思ったセカンド・アルバムがリリースされます。…いきなり、ポップな音に方針変更しておりました。何じゃこりゃというくらいに変わります。よくよく見ると、ランディ・バックマン以外は全員入れ替わっているわけで、同じバンドとは言えないセカンドです。ファーストにはドラムスのマイク・ベアードがいたりして、少しはクレジット・オタクが楽しめる要素もあったのですが、セカンドはそれもありません。
ゲス・フーなんかでもそうですけど、もともとそれほどハードな音を出す人ではありませんから、まあアイアンホースの一枚目がウルサイ人たちと作った盤だったということなんですかねぇ…。
とにかく、面白くないイラストのジャケットが目を引きますが、何なんですかね。友人か何かですかね。バックマン・ターナー・オーヴァードライヴのギアのジャケットも、まあ面白いというものではありませんが、イメージづくりには役立っていたのではと思います。北米大陸を走っているトラック・ドライヴァーにはウケる要素がある人たちなんでしょうけど、女性ファンが多いタイプでもないでしょうし、なかなか難しい舵取りなのかもしれません。
結局この辺までがメディア露出のあった時期で、80年代に入ると全くと言っていいほど名前を見ることがなくなってしまいます。ヴィジュアル志向が強い1980年代にウケる要素があったかというと、なさそうですね。むしろヘヴィメタ・ブームが一方であったわけで、ハード路線の方がまだチャートに居場所があったかもしれません。
バックマン・ターナー・オーヴァードライヴとして再結成したり、また抜けたり、兄弟喧嘩を含めたメンバー間のギクシャクがどの程度のものかは分かりませんが、ポップ路線になってからのバックマン・ターナー・オーヴァードライヴのアルバムはなかなかCD化されなかったので、売れないという評価が固まっていたのでしょう。アイアンホースも結局同様に扱われていたように思います。まあ、ランディ・バックマンが…という捉え方で間違いはなさそうですが、結構メロディアスな曲も書く人なのに、方針が定まらないとこういうことになるのでしょうか。…世の中、なかなか厳しいですね。
ま、1976年に一度ライヴを観ているので、チケットを載せておきます。もの凄いノリで興奮したことが忘れられません。退場時、武道館から出たところで火炎瓶が投げつけられて、足止めくってタイヘンだったんですよねぇ…。