清澄白河カフェのキッチンから見る風景 : When I'm Sixty-Four
ビートルズの「サージェント・ペッパーズ~」に「When I'm Sixty-Four」が収録されています。作者ポール・マッカートニーは「ヴォードヴィル色が強すぎた」と述べておりますが、古臭い雰囲気を持った佳曲です。そのポールも既に80歳を超えていますが、つまるところ、ビートルズ的に高齢者の象徴的な年齢が64歳ということになりますか。私的には「ひらけ!ポンキッキ」の曲ですね…。とりわけ好きという曲でもありませんが、ここ数年、随分脳内再生しておりました。そして、本日、とうとう私も64歳になりました。
今月に入ってねんきん定期便も届きましたし、否が応でも意識させられる誕生日です。さすがに体力の衰えをひしひしと感じる日々、いつまで現役ヅラして働くか悩ましいところですが、カラダが動く限りは働いていたいという気持ちはあります。…さあ、どうしましょうか。
51歳で狭心症、不整脈、心房細動などという症状を発し、57歳あたりまでは内心いつ死んでもおかしくないなという状態でしたから、60歳の誕生日を無事迎えられるとは思ってもいませんでした。それが64歳です。ことある毎に言っておりますが、体重を落としたことがよかったのだろうとは思います。54歳で退職した頃からくらべると20kgほど軽くなっておりますからね。心臓への負担はかなり減ったと思います。生活習慣の改善はカミサンのおかげもあるでしょうが、飲食店などというものをやっていると、否が応でも規則正しい生活にならざるを得ません。それもよかったのでしょう…。キツイですけどね。
とにかくセカンド・キャリアをスタートさせるのは1年でも早いほうがいいと考えておりました。もちろんカフェ経営がもっとラクなものだという誤解を前提としての考えですが、それでも体力的に余裕のあるうち、せめて50代前半にはと考えておりました。結果的にジンジャーをオープンさせたのは55歳の誕生日の46日前ですから、ギリギリ50代前半ではあります。まあ体力に余裕などありませんでしたけどね。でも、まだ続けておりますから…。
コロナ禍で廃業した飲食店は多いと思いますが、私の場合はコロナがバネになってしまったかもしれません。どうも性格的に少しおかしいところがあって、コロナ前は行列ができる隠れ家カフェだった店も、売上が半減しているわけで、こんなことでやめてたまるかと意固地になっているのは間違いありません。コロナが落ち着いてきたら、いつまで続けるかという発想が戻ってきました。…危ないヤツですね。
長く生きられるのが幸せだとは考えておりません。健康長寿でないと意味がないということは常に考えています。理想はPPK、ピンピンコロリ、動ける間はピンピン、動けなくなったらさっさと死ぬ、それが個人的には理想です。ニュースを観ても、老害のような政治家ばかりが目につき、「ああはなりたくない」という気持ちは脳内に常駐しております。自民党の総理大臣経験者がとくに酷いですね。…ああはなりたくないです、ホント。…さすが政治家、晩節も人々の手本となるよう頑張ってらっしゃいますな。反面教師そのものです。
さあ、64歳、どんな一年でしょうか。子どもはおりませんから孫もおりません。髪の毛もまだあります。歌のとおりにはなっておりませんが、まだ生きています。まだ動けます。自分が健康とは申しません、無病息災がベストとも思いません。一病息災でよかろうとは思います。とにかく、また一つ目標をクリアしたというだけですね。まあ今日は久々に「サージェント・ペッパーズ~」でも聴いてノンビリ…というわけには行かないんですね。店は営業しますし、夜はイベントです。…案外忙しくしているのが、元気の秘訣なのかもしれません。