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下町音楽夜話 Updated 010「タカノで聴いたエムパシー」

門前仲町の駅から程近い裏道に「タカノ」はあった。ご主人が数年前に亡くなられたので今は営業していないと思うが、それこそ江東区が世界に誇れる店であった。この旧来のスタイルを守り続けたジャズ喫茶で聴くことができたあの音の洪水は、生きていてよかったと思わせるほどのものであった。聴きたいレコードを言えばかけてもらえたのだが、とてもおこがましくてリクエストなどできなかった。今となっては一度くらいリクエストしておけばよかったなとは思うが、それでも何度か足を運んであの巨大なスピーカーから発せられる音を浴びておいて本当によかったと思う。ライブを聴くのとはまた全然違う世界の、まさに再現芸術の究極がそこにはあった。

暗い階段をのぼって行き店の中に入った瞬間、大量のレコードがカウンター向かいの壁面を埋め尽くしている光景に圧倒される。そしてクラシカルなデザインの時計がところどころに置かれ、タイムマシンよろしく、1950年代から60年代に一気に連れ戻してくれる気がしたものだ。ともあれ店全体がとてもよい雰囲気を作り出していた。居心地の良さという点で、個人的には圧倒的に高得点をつけるが、ジャズを好まない方々には、とても居心地の悪い空間だったのではなかろうか。

盤を探しにレコード棚の裏のほうに入っていっていたので、あの奥には一体どれだけのコレクションがあったのだろうか、拝ませてもらえばよかったなとも思う。ご主人は少々気難しそうにも見えたが、音楽の話をしだすと止まらないくちで、誰彼構わずご教授していただけた。何故かご主人の口から「この人も、もう亡くなりました」という言葉を毎回のように聞いた気がする。ミュージシャンは死んで名を残すのみに止まらず音の記録を残す。そのことが羨ましいのかな、と思えるような口調だった。

1990年代前半、都内の有名どころのジャズ喫茶を聴き歩いた時期がある。吉祥寺や四谷には印象的な店があった。どの店も、アナログ・レコードをタマ(真空管)のアンプで元気よく聴かせていて、音楽を楽しむ条件は整っていたが、居心地のよい店は意外に少なかった気がする。音楽に対して真剣に接しているということ一つで、勿論好感は持てるのだが、その他の評価基準で褒められた店はほとんどなかったとも言える。

その中で「タカノ」は別格だった。店の雰囲気もさることながら、肝心の音に関して、誰もがねじ伏せられて納得させられるような域に達していた。マッキントッシュのアンプは、安定していい音を繰り出していたが、果たしてレコード・プレイヤーがどこのメーカーのものだったか思い出せない。ランシング系の箱の上にホーンを載せた巨大なスピーカーは、物凄い威圧感があった。そしてそこから出てくる、あの音の潔さ。真空管とかアナログ・レコードなどと言うと、柔らかい音を想像してしまうが、とんでもなく元気のよいメリハリの効いた音が飛び出してきて、あまり大きくない店内に充満していた。

自分はあまりオーディオには拘らないようにしているつもりなのだが、それでもタマのアンプは気にかかる。寂しいかな、我家のリビングルームに鎮座するイギリス製の定価二十数万円の真空管アンプは、めったによい音で鳴ることはない。JBLの中型のスピーカーも結局鳴らしきったことがない。一方東急ハンズで2万円ほどの価格で買ってきた手作りキットの小さなアンプは、ベッドルームでタンノイの小型スピーカーを、程よく柔らかい音で鳴らしてくれている。全く皮肉なものだ。

たまたま相性が良かったのか、あまりによい音が出るので泣けてしまった。ピアノ・トリオあたりを適度な音量で鳴らすと最高にいい気分だ。まあマンションで暮らしていては、大音量で鳴らすわけにも行くまい。どのみち壁や天井は何の細工もしていないので、褒められた音場ではあるまい。しかし自分にとっては、やはり一番落ち着く空間であって、そこそこ良い音で鳴ってくれれば満足はできる。一般的な家庭にとって、オーディオの趣味には、どのみち限界がある。

「タカノ」で聴いたシェリー・マンとビル・エヴァンスの「エムパシー」は、今でも耳に残っている。すでに退職してしまったが、同行した当時の直近上司がリクエストしたこの盤を聴いたとき、シェリー・マンの刻むシンバルが不自然なほど勝ちすぎていると不満に思った。暫らくして我が家で聴いた同じタイトルのCDは、澄んだ音で鳴るシンバルをシンシンと響かせていて、他の盤とはちょっと違うバランスに気付かせてくれた。そして、ドラマーであるシェリー・マンに対する敬意を感じさせる録音であることを突然思い出させた。「そうか、あれでよかったのか」と思った瞬間、「タカノ」で聴いたシンバルが蘇ってきた。

当時定年退職直前で、あまり自分たちの仕事に積極的な理解を示してくれなかったこの上司に対する気持ちが、自分の耳を濁らせていたのかとも思う。クラシックが守備範囲の先達は、確かな耳を持っていたのだろう。「タカノ」のご主人と非常に満足気に談笑していた光景を、今では微笑ましいものとして思い出すことができる。

(本稿は下町音楽夜話016「タカノ(2002.10.12.)」に加筆修正したものです)

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