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続・下町音楽夜話 0329「映画は時代を映す」

(文化センターの講座で)映画音楽を語るとき、作曲家で分類し人物を紹介しながら代表曲をかけるという手法が考えられる。そうしたとき、エンニオ・モリコーネやジョン・ウィリアムスあたりは選曲に苦しむことになるのが明白なので避けたい。やはり作品を中心において語りたいし、人物を語ったところであまり面白くないという気がする。そもそも音楽というもの、作られた時点で作者から独立してしまうように感じている。作者が好きでその曲が好きになるということはあまりない。

自分の場合、どうしても時代背景に目が行ってしまう。公開された時期がどんな時代だったかということも面白いが、制作された時代が作品に影響している部分を見出したときは結構面白い。我々の時代であれば、1960年代後半からは宇宙に目が向いている時代であり、第一次のエコロジー・ブームがある。ヒッピー・ムーヴメントとも切り離せない部分ではあるが、それはファッションをはじめとした容姿で語るまでもない。

ただ少し経つと、ヴェトナム戦争の影響が出てくるので、空気感がまるで違ってしまう。それまで戦争ものといえば第二次世界大戦が舞台だったこともあり、戦い方がまるで違ったものになるし、正義に関して疑問を抱きながら戦うことに方向性が移るので、まるで別物になる。80年代に入り、「Uボート」が公開されたときは、「今更昔の戦争か」とも思ったが、ドイツ軍目線の物語展開は斬新だった。ヴェトナム後遺症で病んだアメリカばかり見せつけられてきた後だったので、随分いろいろ考えさせられた。

時代の空気感に関しては、もちろん現代ものに関しての話に限られたことだが、「アメリカン・グラフィティ」のように、ヴェトナム開戦前夜の古き良き時代の空気感を再現している作品が1973年に登場することの意味も考えると、やはり同様に影響が見られるということだろう。自分はまだ中学生で、オールディーズの時代感覚を狂わされてしまった作品でもあり、大好きだったウルフマン・ジャックも含め決して忘れられない作品でもある。こういった時代を検証する作業が好きになった原点でもある。

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一方主演の俳優陣で括るという手法も考えられる。男性ではジェームス・ディーンにクールの原点を見出すが、ジョージ・チャキリスやアラン・ドロンの人気を探っていくうちに、単純なまでに美しい容姿が求められる時代ではなくなっていくところが面白い。カンフー・ブームも手伝ってか、戦争の影響もあってか、どんどんマッチョになっていくことも面白い。70年代後半以降の、美しくない主人公の多いことが笑えるほどだ。

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一方女性は、常に美しい。マリリン・モンローあたりに原点を求めてよいかどうかは微妙だが、オードリー・ヘップバーンやカトリーヌ・ドヌーブの美しさは別格だろうか。ジェーン・フォンダも、クラウディア・カルディナーレも、ジェーン・バーキンも、実に美しい。後年、シガニー・ウィーバーがマッチョに変貌していくことを考えると笑えてしまうが、1970年代以降は、親近感をおぼえる美人が多くなったような気もする。

1970年代に入ると、オカルト・ブームやパニック映画の大ブームがあった。世紀末思想の流行と相俟って、毎年毎年趣向を凝らした絶叫映画が続く。現実逃避的と言えばそれまでだが、ゾンビにネズミに鮫、高層ビル火災に豪華客船沈没にバイオテロ、航空機事故などなど随分いろいろあった。また大ヒットは少ないが、動物パニックものはいっぱい作られていたように思う。面白い。

結局、アナログ・レコードの魅力を語る講座の中で、映画音楽を語らなければいけないわけで、その後の時代は対象から外すことになる。また1960年代から80年代あたりが中心となることも求められており、集中してその時代の要素を探ることになる。ヴェトナム戦争の影響は避けて通れないが、その後の景気動向も意外なほど映画に影響を与えている。英米で前後しても、不況の中でけなげに生きている庶民が主役の映画が増えていくことも必然なのだろうか。一時の快楽をディスコに求めた「サタデイ・ナイト・フィーバー」が典型かもしれないが、大作指向が強まる中、見逃せない傾向である。

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1980年代以降は、ロック・チューンのオムニバス的なサントラ盤が増え、大ヒットも毎年生み出されたが、映画の魅力とは別に語られるべきものが多くなってしまうことも事実だ。主題歌のメロディを聴いて映画のシーンが浮かんでくるような名作サントラはグッと減ってしまう気もする。そもそも公開される映画の本数が格段に増え、選択肢が増えた分、集中力もそがれたようなものだった。今回は、暗黙の了解事項として、70年代までにしておくべきなのだろう。


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