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7インチ盤専門店雑記608「ダスト・マイ・ブルーム」

メンフィス・ブルースに関して調べると、4人のオリジネーターが列挙されております。そのうち、ファリー・ルイスに関しては前回ちょいと触れましたが、もう一人懐かしい名前がありました。スリーピー・ジョン・エステスです。…1930年代の音源だったりしますから、さすがにリアルタイムで聴いていたから懐かしいというわけでもありません。

自分は二十歳頃あまり体調がよろしくなくて、ニートの淵に立っておりましたが、そんな頃に兄貴が「大学の同級生がくれた」と言って聴かせてくれたカセットテープに含まれていたんです。トラフィックの「ミスター・ファンタジー」やエルモア・ジェームスと一緒にスリーピー・ジョン・エステスの音源が…。何という渋い趣味の人だったんですかね。いまさらにビックリですけどね。インパクトはありましたねぇ、トラフィックがオフザケにしか思えないレベルでした。濃い〜選曲のそのテープ1本で、実にディープな未知の世界があることを思い知らされました。

その時自分の心を鷲掴みにした曲がありました。エルモア・ジェームスの「ダスト・マイ・ブルーム」です。他の曲もみんな同じイントロに聴こえましたが、弾けそうで難しそうなその曲を弾いてみたいなと思いましたねぇ。当時少しはギターも練習したりしておりましたが、雑誌に楽譜が載っていたので練習がてら弾いていたのが、まずザ・バンド「ラスト・ワルツのテーマ」、一応マスターしました。でも間もなく渡辺香津美「ユニコーン」をコピーしたところで挫折しました。…まだ挫折する前、なにか少し違うなと思いつつ、エルモア・ジェームスのマネをして、よく弾いてましたねぇ…「ダスト・マイ・ブルーム」。…大好きでした。家族にしてみれば騒音以外の何物でもないでしょうが、随分ストレス解消にはなっていたように思います。

もう少ししたら何とかフツーの生活ができるようになり、3浪で大学に入り、思い切り出遅れておりましたから、勉強はしましたけどね…。結局のところ、ドン底の極みで聴いたものだったわけで、その後エルモア・ジェームスを聴くと、その当時の辛さも甦りますから、あまり積極的に聴きたいものではありませんでした。

就職し、バブルも絶頂期の1989年に山川健一著「ブルースマンの恋」というCDつきの本を手にしてしまいまして、既にロン・ウッドのせいでブルースにズブズブハマり始めていた頃なので、まあグッド・タイミングだったんですかね…。「ダスト・マイ・ブルーム」に再会してしまいましてね…。オープンDなんていうコードとかの情報までいただいてしまいました。辛さも手伝ってか、一年チョットの間、思い切りブルースにハマりました。他の音楽が全く聴けなくなって、タイヘンな状況に陥りましたけどね。ある日突然、ブルースが去って行きました。

スリーピー・ジョン・エステスなんて名前も、もう忘れかけておりましたが、久々目にすると、芋蔓式に記憶が甦ります。一気にエルモア・ジェームスを2枚ほど聴き終えたところです。…久々に聴くとまたこれがいいんだなぁ…。

もうハマらないとは思いますけどね。でもいつハマッてもおかしくない気はします。…実に危険な音楽ですよ、ブルースは。

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