7インチ盤専門店雑記374「スティーヴ・リリーホワイト再考」
U2のデビュー・アルバム「ボーイ」からのファースト・シングル「A Day Without Me」ですが、その前にアルバム未収録のシングルが2つありますから、実質サード・シングルです。ここから初期U2の音を印象付けるとも言えるスティーヴ・リリーホワイトとの共同作業が早くも始まっているんですね。4枚目のアルバム「The Unforgettable Fire」からブライアン・イーノどダニエル・ラノワになりまして、まあいずれにせよ好きなプロデューサーたちが関わることに興奮したものですが、スティーヴ・リリーホワイトで続けて欲しかったという「たられば」的願望も無きにしもあらず、…どうだったのでしょうね。
ここのところ、いろいろな視点からU2について書いているわけですが、7インチ盤もよく売れますし、お客様との話題にもよく登場します。音圧高めで聴きたい音であることは確かですし、自分も嫌いではない音です。
「ア・デイ・ウィズアウト・ミー」はジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの自殺についての歌詞という誤情報もありまして、好ましくないと思ったか、ライヴではあまりやらなくなってしまった曲です。イアン・カーティスの自殺が1980年5月、この曲のリリースが8月、アルバム「ボーイ」のリリースが10月という時系列ですが、Wikipediaにも書かれておりますが、2月には既にライヴで演奏していた曲ですから、違うんですよね。
ただ元々ジョイ・ディヴィジョンのプロデューサーだったマーティン・ハネットという方がU2のファースト・アルバムをプロデュースする予定だったのが、イアン・カーティスの自殺の関連もあってキャンセルになり、スティーヴ・リリーホワイトになったという経緯もあって、誤解されてもしょうがなかったのかなとも思います。結果オーライと言えば言葉が悪いかもしれませんが、私的にはスティーヴ・リリーホワイトでよかったと思うところがありましてね。
スティーヴ・リリーホワイトは、ウルトラヴォックス!との共同作業でアイランド・レコードから認められて頭角を現し、スージー&ザ・バンシーズの「香港庭園」でヒットを飛ばし、名を知らしめます。…リリーホワイトですからね、一度聴けば忘れられない名前です。その後XTCやピーター・ガブリエルのプロデュースが実績として挙げられる新進気鋭の時期、U2のプロデュースをすることになるわけです。ウルトラヴォックス!とかスージー&ザ・バンシーズといった辺り、当時かなり苦労して盤を入手しました。そして思い切りハマりました。
その後はご存知の通り、シンプル・マインズ、ビッグ・カントリー、トーキング・ヘッズといった、いかにも80sなサウンド・メイキングに必ず彼の名前が見られるようになり、ストーンズあたりまでやる超大物プロデューサーになって行きます。現在までにグラミー賞も5回受賞しているとか。…やはり凄いですね。まあ、要するに、当時はU2が好きと言うよりはスティーヴ・リリーホワイトの音を求めていたんだと思います。
次のイベント「サブカル近現代史とMTVの時代」というテーマのもと、曲をかけながらご紹介するのはこの辺の新しい時代を切り開いていった連中の予定なんです。どう年表とともに紹介していくかというところで一工夫必要かもしれません。江利チエミさんから一足飛びにスティーヴ・リリーホワイトと言われても…右から左へ抜けて行ってしまいそうですが、例えばエルヴィス・プレスリーやビートルズといった新しい時代を切り開いていった連中には共通の匂いがあるんです。U2も、出てきたときは、なかなかに新しさを感じさせたものです。サブカル近現代史の中で語られるべきアーティストであることに間違いありません。