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EVEN, if... <「彼」の手記Ⅰ>②

小学五年生の時の僕の一日を思い出していると、今とほとんど変わらず、つい笑ってしまった。
 まず、朝六時半ごろに起床する。同時に、(彼女はまだ寝ているだろうか。一体どんな夢を見ているんだろう)と心の中で考える。調子のいい日は、彼女の見ている夢の内容すらも想像する。今思えば、どれもこれも自分に都合のいい内容のものばかりだったのだが。例えば、僕に告白してくる夢とか。思い出すだけでも恥ずかしい。
 次に、朝ごはんを探してキッチンを徘徊する。炊飯ジャーの蓋を開けて白ごはんの残りを確認し、何も無かった場合は冷蔵庫を開けて昨日の晩御飯の残り物を確認する。もし残り物があったのなら、それを取り出して電子レンジで加熱する。そして加熱している時、ふと考えるのだ。(彼女は昨日、晩御飯に何を食べたのだろうか。和食?洋食?もしかしたら同じおかずを食べていたかもしれない)と。(好物はなんだろう。シチュー?ハンバーグ?カレーとか、ムニエルとか。案外、なんでもない白ごはんだったりして)。そんなことを考えているうちに、電子レンジの加熱は終わる。加熱が終わった残り物の乗った異常に熱い皿を持って、食卓へ運んでゆく。
 もし、残り物すらなかった場合、食パンを袋から取り出し、オーブンに入れて焼く。加熱方法と時間を設定し、加熱開始のボタンを押す。そしてまた考えるのだ。(彼女はパン派だろうか。ごはん派だろうか)パンを幸せそうに頬張る彼女を想像し、一方で彼女が嬉しそうに炊き立てで湯気の立ちのぼる白ごはんを口に運び、食べる姿を思い浮かべる。(どっちにしても、愛らしいな)という結論に至るまでが定例だ。
 十分に焼け目のついた食パンを皿に乗せ、食卓へ運んでいく。小さくいただきますと言って、まだ熱いそれを頬張る。大体、それくらいで七時前後になる。(もう七時か。彼女はもう起きただろうか。目覚ましのアラームが鳴ってるかもしれないな。まだ眠たい目を擦りながら起き上って、嫌そうに音を止めている頃かな)と口に含んだパンを咀嚼しながら考える。(いや、まだ起きていないだろうな)(アラームを設定しているとは限らないよな。お母さんが起こしに来ることで初めて目を覚ますのかもしれない)(もし起きているなら、もう朝ご飯を食べようとしているかもしれない)(だとしたら朝ご飯に彼女は何を選んだのだろう)等々。この時間は目が覚め始める頃合いなので、想像が捗る。今の豊かな想像力は、本を読むこともそうだろうが、これに影響を受けているのかもしれない。
 朝ご飯を食べ終え、歯磨きや洗顔を終え学校へ行く準備も終わった僕は、制服に着替えた後にテレビをつける。2、4、6、7、8、10とチャンネルを変えてゆき、面白そうな番組を選択する。(もうさすがに起きただろうな。目を擦りながらリビングへ向かう姿が目に浮かぶ)(テレビは何を見てるんだろう。同じチャンネルかな)(朝、テレビを見ないかもしれないな)などを考えながら、何も考えずにテレビの画面を眺める。実際のところ、しっかりとテレビの内容を見るわけではないので、特別面白そうな内容の番組を選ぶ必要は無いのだが、起きてきた家族に「リモコンは?」と聞かれるのが嫌なので、できるだけ面白そうな番組にするのが習慣になっている。テレビの画面の左上にある時計に目をやる。大体七時三十分くらいになると星座占いをする番組を選択し、占いの結果を見る。僕はその星座占いを妄信しているので、順位が高ければ上機嫌で学校へ行き、低ければ少し不機嫌になって学校へ行く。順位が低い日は何か嫌なことが起こりそうで、何もかもが悪く思えるのだ。
 学校に到着し、ランドセルの中身をすべて机の中に入れていく。たくさんある教科書やノートを何とか詰め込むと、ランドセルを後ろのロッカーに入れて、しばらくの間は読書にふける。本を読んでいる間は、つまり何かに没頭、集中している間は彼女のことを考えずに済むので、僕はこの時間を結構大切にしていた。あまりにも彼女のことを考えすぎてしまうと、途中から他のことが何も考えられなくなってしまうのだ。朝のまだ早い時間帯から学校に到着している僕にとって、友達が来るまでの数分、数十分は非常に暇な時間だ。この時にもし彼女のことを考えて、ましてはその世界に入り込んでしまったら、その後の授業に支障が出てしまう恐れがある。適度な創造、大きな妄想といった具合だ。
 その後の学校生活は、毎回の休み時間に彼女のもとを訪れて、話をしたりちょっかいをかけたりして過ごすというものだった。今思えば、僕はもうこの時から既に彼女に好意を寄せているということが行動として表に出てしまっていたようだ。だが、表面上の友好関係はあれど、実際に仲の良かった友人は少なかったので、僕の行動や言動について詳しく見ていた人間はいなかったようだ。僕のこれらのことについて鋭く指摘してくる人間は一人もいなかった。この年も、今後五年間においても。
 学校が終わると、僕は常に真っ直ぐに家へ帰った。放課後、校庭へドッジボールや鬼ごっこをしに行く生徒たちを脇目に、黙々と帰路についた。僕には遊びに誘ってくる人間も、一緒に帰ろうといてくる人間もいない。でも、さみしくはなかった。一人ぼっちだったのは昔からだったし、当時は彼女のことを考えるだけで十分だったからだ。
 ひとり静かに帰宅する時ですら、僕の脳内には常に彼女の幻影がいた。会話をしている時に見た、愛らしい笑顔。僕の名前を呼ぶ声が繰り返し脳内に響く。会話している時の幸せそうな笑顔も、無邪気な笑い声も、どれもこれも一人の僕を慰めてくれた。枯れ葉が風に吹かれて地面を転がる乾いた音、カラスの鳴き声、ハトが羽ばたく音。それらの音の後ろで聞こえる、僕を呼ぶ彼女の声。それが自分の作り出した幻聴、偽りの声であると分かっていながら、わずかな希望を求めて声のした方に目を向ける。もちろんそこに彼女はおらず、ただただ空虚な気持ちになるだけだった。生きる限り希望を求めるのが人間という生き物だ。それが無理な願いだとしても、望みだとしても、最後の一瞬まで人間はそれを信じる。僕もそんな人間の一人だった。
 家に帰ってからも、僕の空想は続く。このあたりから僕の想像はさらに広がり始める。「今どこで何をしているんだろう」「友達と遊んでいるだろうか」「まだ学校に残って友達と話しているかも」などの内容のものの他に、例えば「付き合ったらどうしよう」とか、「明日もあえるだろうか。会えたらいいな」とか、「いま外へ散歩に出かけたら、帰り道の彼女と会うことができるかもしれない」とか、挙句の果てには未来、将来のことにまで発展していく。「将来はこんな家に一緒に住みたいな」や、「こんな車で一緒にドライブをしたいな」などなど、朝よりも昼よりもバリエーションが増えた想像を楽しむ。もちろん、宿題の手は一向に進まなくなってしまうのだが。
 そんな夢物語の中に、僕は想像の彼女を招待し、共に何もない世界の旅をする。僕を取り巻く現実は、僕の頭の中までは入れない。現実が僕を蔑むことができず腹立たしそうにしているのを横目に、僕は想像を続ける。

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