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映画を早送りで観る人たち で余裕がないことを知ったお話。

Q?:一番、印象深い一文とは?
A?:「昔は、倍速にいちいちめくじらを立てる人がいたんだってよ」

映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形
稲田豊史
を読みました。

なぜこの一文なのか?

この一文は本編の最後の一文です。
そして、この一文の10行ほど前には、

新しい方法というやつはいつだって、出現からしばらくは風当たり強い

映画を早送りで観る人たち 290頁

とあります。

今の世の流れから予見される未来、といったところでしょう。
映画が芸術として認められず、舞台などの劣化物として扱われていた。
レコードが出た時には、生演奏には遠く及ばない。
CDで音楽がデジタル化した時には、レコードから出る音をカットしている。
過去にこういったことがあったため、今もそういう時期だということです。

まるで時代の波に抗えず、達観しているようにも見えます。
しかし、あとがきの最後の一文を

映画を早送りで観るなんて、一体どういうことなのだろう?

映画を早送りで観る人たち 3000頁

と締めています。

やはり、目くじらを立てたいというのが本音なのでしょう。

この一文はどういうことか?

映画が作品からコンテンツを変容し、鑑賞から消費へと変化していったのが一因でしょう。
鑑賞は、それ自体が行動の目的になっています。
映画を観る、絵画を観るなどです。
消費は、別の実利的な目的があります。
食事は、楽しむという行為もありますが、栄養を得るという実利的な目的があります。
そのため、栄養を得るためにサプリメントで済ませるという人たちもいます。

また「わからない=つまらない」という考え方が中心になってきているということです。
わかりやすいことは、面白さに直結はしないです。
反対に、わからないはつまらないに直結してしまうのです。
わからないことを調べてみるといった行動につながらず、わからない時点で強制終了です。

それゆえ、見たいものだけを見たい、見たいように見たいといった方向になっているのでしょう。

では、どうしてこうなったのか?

共感強制力、共感性羞恥といった言葉で説明しています。
強制力よりも共感。
共感力が高いことは、ビジネスパーソンとして重要なスキル。
などと言われていますが、その共感に強制力が伴うということです。
そして共感性羞恥とは、映画の登場人物が窮地に立つと、自分もそうなったようで嫌だと感じることです。

この二つが重なるところで、
自分の属するグループでの共感を維持したい
出てくる話題についていく必要がある
かといってその全てを知ることはとても難しい
端折って短時間で知りたい
嫌な気持ちにもなりたくない
自分が不要だと思う部分を避ける、飛ばす
ということが起きています。

これは、時間的にも、金銭的にも、精神的にも余裕がない。そんな今の時代を反映していることでもあります。
そして、何を言うかではなく、誰がいうかということが、重視されてしまっている世界でもあります。
自分が信頼できる人物の言うことだから、正しいと考えるわけです。

ところで、新型コロナとワクチン わたしたちは正しかったのか と言う本で、複数のソースで情報を確認する事が正しさにつながると学びました。

また、このアウトプットで出しきれませんでしたが、
誰が言ったか? で盲信するのではなく、何を言ったか? を吟味する必要があると述べられています。
そして、私はこの考えを、もっともだと腹落ちしています。

その為、誰が言ったかに偏ることに、危惧の念を抱いています。

ヘッダ画像を新しく作ったよ。
そんな今日この頃。

「紙1枚」

#読書 #紙1枚読書法 #映画を早送りで観る人たち #稲田豊史

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