映画を早送りで観る人たち で余裕がないことを知ったお話。
Q?:一番、印象深い一文とは?
A?:「昔は、倍速にいちいちめくじらを立てる人がいたんだってよ」
映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形
稲田豊史
を読みました。
なぜこの一文なのか?
この一文は本編の最後の一文です。
そして、この一文の10行ほど前には、
とあります。
今の世の流れから予見される未来、といったところでしょう。
映画が芸術として認められず、舞台などの劣化物として扱われていた。
レコードが出た時には、生演奏には遠く及ばない。
CDで音楽がデジタル化した時には、レコードから出る音をカットしている。
過去にこういったことがあったため、今もそういう時期だということです。
まるで時代の波に抗えず、達観しているようにも見えます。
しかし、あとがきの最後の一文を
と締めています。
やはり、目くじらを立てたいというのが本音なのでしょう。
この一文はどういうことか?
映画が作品からコンテンツを変容し、鑑賞から消費へと変化していったのが一因でしょう。
鑑賞は、それ自体が行動の目的になっています。
映画を観る、絵画を観るなどです。
消費は、別の実利的な目的があります。
食事は、楽しむという行為もありますが、栄養を得るという実利的な目的があります。
そのため、栄養を得るためにサプリメントで済ませるという人たちもいます。
また「わからない=つまらない」という考え方が中心になってきているということです。
わかりやすいことは、面白さに直結はしないです。
反対に、わからないはつまらないに直結してしまうのです。
わからないことを調べてみるといった行動につながらず、わからない時点で強制終了です。
それゆえ、見たいものだけを見たい、見たいように見たいといった方向になっているのでしょう。
では、どうしてこうなったのか?
共感強制力、共感性羞恥といった言葉で説明しています。
強制力よりも共感。
共感力が高いことは、ビジネスパーソンとして重要なスキル。
などと言われていますが、その共感に強制力が伴うということです。
そして共感性羞恥とは、映画の登場人物が窮地に立つと、自分もそうなったようで嫌だと感じることです。
この二つが重なるところで、
自分の属するグループでの共感を維持したい
出てくる話題についていく必要がある
かといってその全てを知ることはとても難しい
端折って短時間で知りたい
嫌な気持ちにもなりたくない
自分が不要だと思う部分を避ける、飛ばす
ということが起きています。
これは、時間的にも、金銭的にも、精神的にも余裕がない。そんな今の時代を反映していることでもあります。
そして、何を言うかではなく、誰がいうかということが、重視されてしまっている世界でもあります。
自分が信頼できる人物の言うことだから、正しいと考えるわけです。
ところで、新型コロナとワクチン わたしたちは正しかったのか と言う本で、複数のソースで情報を確認する事が正しさにつながると学びました。
また、このアウトプットで出しきれませんでしたが、
誰が言ったか? で盲信するのではなく、何を言ったか? を吟味する必要があると述べられています。
そして、私はこの考えを、もっともだと腹落ちしています。
その為、誰が言ったかに偏ることに、危惧の念を抱いています。
ヘッダ画像を新しく作ったよ。
そんな今日この頃。
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