1100日間の葛藤 で責任が必要だと感じたお話。
Q?:専門家の責任とは?
A?:私たちが恐れたのは、政府やIOCから嫌われることよりも、歴史の審判に堪えられないことの方だった。
1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録
尾身茂
を読みました。
なぜ、この一文なのか?
専門家としての役割と責任が凝縮されている。
この一文を読んだときの、率直な感想です。
この本の章や節のタイトルになっているわけでもなく、なんなら読み飛ばしても不思議ないくらい、自然に書かれていました。
だからこそ、作者の芯になっているのだと感じました。
平時でも様々な意見や立場があります。
パンデミックという混乱時。
その状況で、周囲との協調と自分の芯を通すことのバランスを取っていたことは、驚愕です。
そして「今」だけでなく、長期的な視野で物事を考えていたことが伝わってきます。
どういう一文なのか?
「無観客五輪」を専門家有志26人で提言に関して綴った部分に、この一文は書かれています。
極短期的ではなく超長期的な思考の結果、出された提言というのが如実に伝わってきます。
「今」だけでなく、「次」「その次」、と連なっていく事柄を考える。
この大切さが現れています。
もちろん「今」がなければ「次」「その次」もありません。
でも、それを考えるのが専門家なのだと思います。
また五輪という出来事に絡めて考えると、
日本だけでなく世界を視野に入れている
ことも伝わってきます。
作者の役割は基本的に、国内。
しかし国内で開催される世界的行事。
作者を含めた専門家たちの役割の難しさを窺い知ることができます。
じゃあ、自分はどうするか?
「まあ、いいか」
「ここは通す」
妥協と主張。
日々繰り返されていることです。
しかしながら、その
間(あわい)
を取っていきたいです。
「今だけ」思考に陥らず、自分の言動に責任を持つ
ことを心がけていきたいです。
どうしても、今だけを考えて判断しがちな自分。
歴史的な超長期的な思考は必要ないだろうし、そもそも出来ない。
だからこそ、少なくとも
自分で振り返って短絡的だったな
と反省をすることを少なくしていきたいです。
そうすれば自分の言動に責任が出てくるし、
周囲が信頼してくれると思います。
責任=ニゲナイチカラ
そんな今日この頃。
専門家=科学者ではないけれど、科学者=専門家だと思う。
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