《不定期活動報告⑥》第四回・銀竹定例歌会が行われました(4/21)
どうも、銀竹のディレクターを名乗っている大橋弘典です。
ディレクターを名乗っているくせになかなか銀竹という活動が漕ぎ出でていく方向を指し示すことができておらず、なんとnoteの記事更新が二ヵ月止まってしまいました。
記事を楽しみにしてくださってた皆さん、すみません。
今回は4月に行われた第4回の定例歌会報告(報告者:工藤鈴音)となります。
ここで頻繁に記事をチェックいただいている皆さんは「あれ?」とお気づきのはず。そう、3月の報告がとんでいます。
3月は銀竹初となる対面の定例会だったので、なんとか記事を出したいのですが、都合により記事が出来上がっていません(困惑)
いつか、いつか必ず報告記事を公開したいと思っていますので、読者の皆様におかれましては、今後も見捨てずお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。
それでは、本文にまいります。
4月21日(金)に第四回・銀竹定例歌会が行われました。
今回は「飽」という題で1首、自由詠2首の計3首を持ち寄り、歌会を行いました。
最も票をあつめたのは遠藤さんの歌でした。
票を入れた方々からは「母体を連想させる生々しさがある」「怖いけれど惹かれる」という評がありました。一方、どうして母親になりたくないのかというところまで踏み込んで詠めるとよりいいのではないかという意見もでました。
また、歌会の場に母親という存在がいないということを含めた評もありました。重いテーマなので、作者がどのような立場にいるのかという点でもとらえ方が変わり、良くも悪くも読者の感情にヒットしてしまうところがあるという意見もありました。
続いて票が集まった歌については着眼点がいいという評がありました。
また、祖父は認知症なのではないかという読みをした人が多く「数を数えることに必死だけれど、きちんと数えられていないのではないか」という意見もがでました。
最後の七音「きっと儚い」については、「儚い」という言葉をつかってしまうと、表現が直接的すぎるので、残念だという評がありました。
3番目に評が集まった歌については「主体が持っているさみしさに含まれる美しさに惹かれる」「つぶやきのような儚さがある」という評がありました。上の句の「~行ったんだ」という表現については、その拙さがいいという評がでた一方、下の句の「~だった」が揃っていない点が気になるという評もあり、「~思い出に溶けて」と流した方がいいのではという意見がでました。
うたはもちろん、評の仕方にも個性がでていて、学びが多くありました。日ごろから短詩を詠み、ことばを扱うことに気を配っているメンバーだからこそ、評のなかにもその丁寧さやユーモアがにじみ出てきているのではないかと思いました。
(報告者:工藤鈴音)
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