《不定期活動報告⑨》第7回・銀竹定例歌会を開催しました!
大橋弘典です。note更新のマネジメントをまったくできずなんと不定期活動報告がこんなに途切れてしまいました。すみません。
報告をしていないだけで、実は毎月活動しています。
今回以降は毎回、日比谷虚俊さんが報告者として毎月の銀竹の活動を読者の皆様に紹介いただく手筈となっています。よろしくお願いいたします。
そんなわけで、今回は11月17日におこなわれた定例歌会の報告です。
今回は自由詠二首のほかに題詠「ママン」で一首。「ママ」ではなく「ママン」であるところに作者の力量が出るか。ちなみに「ママン」はフランス語で、事情により「ペア」ではなく「アベック」が使われることがあるように(スケートではペア種目があるため男女それぞれで金メダルを取ったときは「アベック金」と報じられることも)、事情により「ママ」ではなく「ママン」が使われる界隈があるかもしれない。それを念頭に置いたところで読みが変化するわけでもないが。
「なにもかもはじめてだった」までは恋のことだと解釈していた。「ことばとか。」もそれを許容するだろう。だが下の句で「ありがと地球さよならママン」と展開する。大いなるものへの感謝であったのだ。この裏切りが心地よい。「ママ」よりもややウェットな「ママン」が「さよなら」と合っている。
充実する他人には、ときに眩しささえ覚えるものがある。短歌にされたことで「ママン」と「呼ばれて」から「雲母」が「光る」までがスローモーションになったようだ。「友」の前後のストーリーが気になる。
勢いと意味の分からなさで採らせる歌だ。ちなみに土木に詳しい吉井さん曰く「鉄道は建築ではなく土木なので建築家がなぜ銀河鉄道を」という質問がなされた。作者のカワウソさんは「そこまで考えていなかった」と。「フィクションだから」という冷めた答え方もできるが、それでは読者の違和感は拭えない。かといって厳密性を求めるのも違うだろう。細部が気にならないようなバカバカしさ、もしくは美しい嘘が銀の弾丸となり得るか。
恋する人間を「恋慕加速装置」と言うとは。てかアップデートしなかったら旧バージョンで運用できるんだ。最新バージョンにしたせいで文句を言われたりするのかもしれない。悲しい装置だ。
「埼京線」というチョイスがよい。知らない人向けに説明すると東京と埼玉を繋ぐ路線で、これでもかというくらい人がいる。「そういう人間が埼京線にいてもおかしくないかも」と思えるくらいには人がいる。「なぜそれを?」「なぜそこで?」といったあらゆる問いは「埼京線」が解決していく。
スーパーずぼら人間。というか謎。部屋に誰もいないのに牛乳パックに直接口つけないで計量カップで飲むんだなんだそれ、という。容れ物から牛乳を飲みたいという欲求なのか、最低限何かには移すでしょ、ということなのか。かく言う私も実家でご飯茶碗に牛乳を入れて飲んだことがあるから人のことは言えないのかもしれない。
鋭い痛み、鈍い痛みがあるように、鋭い良さ、鈍い良さがあるとすればこの歌は鈍い良さを持っているだろう。電撃が走るような心地よさではない。修飾を続けながら情景を見せていきながら、そして結句まで「どうした」が出てこない。俳句にも上五中七まで情景が浮かばず、下五で一気にパッと構築される鮮やかさを持った句もあるが、この歌は鮮やかな良さというより結句で溢れ出る生活感がよいのかもしれない。
文責:日比谷虚俊