身体中の細胞が常に生まれて死んでいくように、この世界に立ち止まるという選択肢はない。
人の成長は、体の細胞が新たに生まれて、そして古い細胞といれかわっていくように、いつの間にかすっかり新しい体になっているようなもの。
自分が成長すること。それは自分の可能性が開けること。それは自分の未来が良いものに変わること。
その変化が自分の内側で起きていたとしても、外側の世界である、目に見える「状況」はすぐには変わらない。
自分の内側が変わると、自分の行動が変わる。自分のおこした行動がいままでと違うことを自分で実感する。次にその行動によって周囲の反応が変わることを実感する。自分は成長した、変われた、そう思う。
しかし、「状況」は良くならない。なぜだろう?
成長した自分が外側に影響を与え続けないと、自分をとりまく環境というのは変わってはこない。与えた影響によっておきた変化が変化を呼び、いろんな循環を経て、目の前に戻ってくるまでには時間がかかる。
目の前のひとはすぐに反応してくれるけれど、今までの自分の知っている人や、昨日までの環境がガラリと変わったりはできない。
それは、人間の細胞や血液が何日もたって循環し、いつもまにか、元の体にあった細胞がすっかりといれかわっているのと同じように
何週間、何ヶ月たってから現れてくるもの。そのように時間のギャップがある。変化は遅れてやってくる。
しかし、自分は「変わった」という確証がもてているのに、周りの反応や変化がうすいとように感じてしまうと自分のやりかたはうけいれられないのか?と早とちりをしてしまう。
すると、行動を続ける気力や勇気が失われてしまう。ジレンマがおおきくなっていき、状況が変化する前に、行動をやめてしまうのである。せっかく状況がととのってきたころには、今度は自分がそれに気がつかない。
人はこのように「成長しつづけること」を自分で阻害していることがある。評価されない。うまくいかない。と決め込んでしまう前に変化の途中ではないかを観察してみよう。
行動をやめてしまったら、変化のあとの景色を見ることはできない。そのことを考えよう。
一番たいせつなのは、自分自身の行動に「変われた、成長できた」と実感した瞬間なんだ。周りの反応が良いか悪いかを気にするとそれは足かせになってしまう。
自分が行動しつづけてさえいれば、循環はかならず起きている。いつか目の前にやってくる。行動しつづける、変化をおこしつづける、こと。
それだけを考えていよう。