『GIKYOKU! Vol.1』こだわったこと
本にすること
「本」という形のあるものにすることは、こだわった最大のポイントです。ひとえに言うと、そこに存在することが見えることが必要だと思いました。
電子書籍(PDF等)も考えました。
電子書籍なら置き場所に困りませんし、検索等、いろいろ利点もありそうです。何より、本にするよりも安価にできそうです。
けれども、デジタルデータは誰が持っているかわかりづらい。
それは演劇部の現場において、大きなデメリットのような気がしました。
もし、部室の本棚に『GIKYOKU!』を置いていただけたら、それだけで、誰の目にも『GIKYOKU!』があることは明らかになります。
そうやって存在が明らかになっていると、誰かがふと興味を持って読んでくれるかも知れません。5年後、10年後の演劇部員だって、“やってみよう!”と思ってくれるかも知れません。
演劇部員たちの目に触れるには、本がベストだと思いました。
いまだに『高校演劇Selection』収録の作品が、全国の演劇部で演じられています。それは、収録作品が「良い作品である」ということもありますが、何より本としてそこに存在することが大きいのではないでしょうか?
『GIKYOKU!』もそんな風に、演劇部員たちに気軽に読んで欲しくて、本という形にしています。
レイアウトについて
読みやすい本を目指して
読みやすさを優先して、本文をレイアウトしています。
行間を詰めたり、フォントサイズを小さくすれば誌面の節約になります。つまり、同じページ数でもより多くの作品を掲載できるようになります。
でも、そんな良いことばかりではありません。
行間を詰めることも、必要以上にフォントを小さくすることも、読みにくさに繋がってしまいます。また、書体も重要です。
個人的なことですが、行間を詰めた読み物(本)や、読みにくい書体の読み物は、まるで読む気がしません。その内容がどんなに素晴らしくても、読めないのです。読むことが苦行になり、放り出してしまいます。
本当にまずそれぞれの台本(作品)を読んでみていただきたいのです。
そのために、1行あたりの文字数や行間などを調整して、なるべく読みやすいように本文をレイアウトしています。
台本のレイアウトについて
本来であれば、元々の台本のレイアウトそのままに収録するのが良いのかもしれません。コピーすればそのまま使えるという利点もあります。何より、他の演劇部が使っている台本のレイアウトに触れられるのは貴重です。
ただ、そうすると必然と1作品にかけるページが多くなってしまいます。本も分厚くなってしまいますし、その分、頒価も高くなってしまいます。何よりお金の都合であまり分厚い本をつくることもできません(300ページ前後と決めていました)。
ここは泣く泣く、「舞台監督」「音響」「照明」などの欄を削除して、本文を2段組にしています。
著者によってレイアウトやト書きなどの文法も若干異なっていたのですが、それらもある程度統一しています。これは台本の個性と読みやすさを勘案してそうしました。
台本というよりも、(サイズもA5判なので)文芸誌に近いレイアウトかもしれません。
台本に触れない人にも読んで欲しい
台本は演劇にならなければ、面白くないのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。台本は、それだけでも十二分に面白いです。
けれども、本屋さんに行っても、台本のコーナーというのは大きくありません。そもそも、台本のコーナーそのものが、(都会の)大きな本屋さんに行かなければありません。その扱いを見れば、小説ほど一般的に読まれるものではないというのは、誰にだってわかります。
それは台本が読み物として想定されていないというのが一番大きい気がします。想定されていない、というよりも、「読み物ではない」という人々の思いが大きいのかも知れません。
台本はセリフとト書きのみという独特の体裁ですが、物語を想像しながら読むというのは、実は小説と同じです。
「高校演劇なんて知らないよ!」という人にも、文芸誌のように読んでもらえたら、こんな嬉しいことはありません。
人数を明記していない理由
高校演劇向けの台本は、まず登場人物の人数と男女比を明記していることが多いように思います。
これは、「上演ありき」で考えられているからなのでしょうが、「(部員の)人数的に上演できる作品」で最初に絞り込んでしまうのは、惜しい気がします。
人数を明記しなかったのは、ズバリまず読んで欲しいからです。
上演できる台本を探すために、『GIKYOKU!』にあたっていただくことも否定はしません。でも、人数だけで選んで欲しくない。一番に自分たちが「やりたい」と思った作品を選んで欲しい。
そうして選んだとき、選んだ作品の登場人数が自分たちよりも多いこともあるでしょう。そのときこそ、どうするかをみんなで考えて欲しいと思います。
演劇は、単に台本に書かれている「ト書き通りに装置を用意して、セリフ通りに演じるもの」ではないと思います。台本を十分解釈した上で、自分たちなりにどう表現するのか?ということを考える、そして、上演に際して持ち上がる問題の数々をみんなで解決していくことこそが大切な事柄です。
良い演劇は、真面目に作品に向き合った結果、生まれるような気がします。
生徒創作作品をメインにすること
これにはいくつか理由があります。
一般的に生徒創作作品は、顧問創作作品よりも入手が困難であること
兵庫県には優れた生徒創作作品が沢山あること
(同じ高校生の作品として)演劇部員たちに読んで欲しかったこと
『GIKYOKU!』はやはり、一番に演劇部員に読んで欲しい思いがあります。
演劇部は他の部活と違って、「何をしたらいいかわからない」という問題にぶつかることが多い気がします。演劇のことを聞こうと思っても、周りに演劇を知る人がまったくいないこともあるでしょう。
そんなときに、『GIKYOKU!』掲載の作品を読み比べてみたり、練習のテキストにしてみたりして欲しいのです。演じてみることで見えてくることもありますし、台本を書きたいならその参考にもなると思います。
演劇をするときに、「自分(たち)とは違う」と真っ先に諦めて欲しくないのです。
実現できなかったこと
それは、180度開く製本です。
読み合わせ等、部活で使われるときはコピーされることが想定されます。本当はコデックス装のような180度開く製本にしたかったのですが、予算の都合で実現できませんでした。
(制作費はすべて私個人の財布から出しているので、なかなか大掛かりなことは難しいのです)
また、現役生の声も載せたかったのですが、今回は叶わずでした。
単なる脚本集ではなく、演劇部員に寄り添うような本にしたいのです。
そして、今のところ危ういのが、年1回の継続発行です。
高校生の時間はたった3年間です。高校生にとっての1年という時間は、とても貴重なものです。現役生であるうちに、リアルタイム性の高い台本を届けていきたい。
『GIKYOKU!』をそのように継続発行することができれば、高校演劇の台本に対する変化も何か起きていきそうです。
(しかし現在は、Vol.2制作の目処すら付いていません💦💦💦)
『GIKYOKU!』は個人プロジェクトです。
兵庫県の高校演劇関係者を含めて、様々な人たちのお力添えがあり、Vol.1を発行することができました。本当にありがとうございます。
ここで終わらせず、Vol.2へ繋げていきたい所存です。兵庫県には、まだまだ良い作品が沢山ありますし、これからも生まれてくることでしょう。
皆さま、どうか応援よろしくお願いいたします。