「苦くも、酸っぱくもありません」の矜持
焙煎がうまくいくということの定義を、コーヒー豆が持つ香味成分を最大限に焼成できていること、としよう。
豆の加熱の肝は、総熱量と一つ一つの豆の中心部まで熱が届くまでのスピードがどうバランスしているか、ということになる。
コーヒー豆はとても硬く、火が通りにくいので全体の熱量をかなり高くする必要がある。高い熱量の調理では、鍋肌の温度と周囲の空気の温度差が大きくなり、表面が焦げて芯が生のまま、という豆が出来上がる。
そのために回転ドラムの中で豆を泳がせ、空気で加熱するという焙煎機の原理が生まれたわけだ。
さらに、800種類とも言われる香味成分を生成させる焙煎では、デンプンをアルファ化するような、火が通ればいいという単純さを適用できない。
どうしても一定の強い火力で炙る工程も、弱火で加熱していく工程も必要になり、ここに先人の知恵が惜しみなく投入され、我々に引き継がれている。
焙煎のことを考えると頭に浮かぶのは、“コーヒーの神様”襟立氏のご子息が札幌の住宅街で営んでおられた『リヒト』だ。
残念ながら今は閉店されてしまったが、お店に並ぶたくさんのコーヒー豆の“すべての”プライタグに「苦くも、酸っぱくもありません」と書かれていたことは、今でも鮮明に思い出せる。
酸っぱさや苦さ、つまり焙煎度のレベルを超えた味作りをしているんだ、という矜持がそこに示されていたのだと思う。
勝手ながら、少しでもその焙煎家としての矜持を引き継ぎたく、自分のコーヒーも「苦くも、酸っぱくない」ものでありたいと、日々焙煎に励んでおります。