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「回帰、お醤油ごはん」

昔、私の実家では炊き込みごはんは「お醤油ごはん」と呼ばれていた。醤油に多分みりんを足したような味付けで、気持ち、普通の炊き込みごはんよりもおこげの濃さや分量が多かった気がするが、当時の炊飯器の性能によるものだったのかもしれない。具は、にんじん、油揚げ、こんにゃく、鶏肉だったと記憶している。今は簡単に炊き込みごはんができる素がたくさん売られているが、母は一から手作りしていた。蒟蒻を茹でてアク抜きをし、具を細かく切って、といだ米と一緒に釜に入れ、調味料と水を入れて炊いていた。詳しいレシピはわからない。母は私が学生の時に亡くなってしまったからだ。

私は母の三人の子供の中では、一番可愛がられていない子供だった。その事を幼児の時から事あるごとに感じてはさらにひねくれた娘に成長し、十代の後半からはまともに喋った記憶がない。いや、小さい頃もそんなに話したことはなかった。母は衣食住の面倒はきちんと見てくれたが、私に対してほとんど興味が無かったからである。(元々子供嫌いな人だった。)
それでも、母は私の好きな食べ物をよく作ってくれた。家事が嫌いな母は献立を考えるのが面倒なために、いつも家にいる大人しい私に「今日何食べたい?」と聞くのが常だったから、と言うのが理由ではあるが、それでもとてもありがたい事だったと今は思う。
母は特別に料理上手だったわけではなく、レパートリーも限られていたけれど、母の作る生のまま混ぜ込んだ玉ねぎがシャクシャクとしている厚いハンバーグや、もやしを甘辛く煮て卵を落とした名前不明の料理や、そして何よりもお醤油ごはんが、大好きだった。私の味覚の根本には母の手料理がある。

大人になって、私は料理が少し出来るようになり、炊き込みごはんが作れるようになった。最初は簡単に、オーソドックスな炊き込みごはんの素を使ったものに始まり、その内ツナと生姜の炊き込みごはんや、具が鶏肉だけで食べる時にバターと黒胡椒をのせるもの、とうもろこしの炊き込みごはんなど、バリエーションが広がった。でもその中に、母が食べさせてくれた、シンプルな味付けで一から作るタイプのものはなかった。
どうして私はあのお醤油ごはんを作らないのかと思う時はあったが、まあめんどくさいもんね、と自分で納得していた。

ある日、夫が九州出張のお土産に、あごだしのだしパックを買ってきてくれた。福岡に本社があるそのメーカーの作るだしパックは関西でも手に入り、最高に美味しいが、少し高級なので我が家では普段使いができない。たまたま夫が博多限定のあごだしバージョンを見つけて買ってくれたのだった。
あごだしには小さなレシピ集が付いていて、かしわ飯の作り方が載っていた。福岡の郷土料理で、具を炒めて味を付けてから米と一緒に炊き込むらしい。
美味しそうなので作ってみた。サイコロ状に切った鶏もも肉、千切りのにんじん、牛蒡のささがき、戻して細く切った干ししいたけを最初にフライパンで炒めて、醤油とみりんで味をつける。具と汁は分けておく。二合の洗い米と汁を釜に入れて釜の二合の線まで水を足す。袋のままのだしパックと、具をのせて炊く。
出来上がったかしわ飯は、醤油は抑えめでだしの風味をいかした、上品な味だった。だしに付いているレシピだからだし強めなのだろうか、もしかしたら本当の福岡の家庭ではもっと濃い味なのだろうか。もちろんおいしいけれど、つい実家の懐かしいお醤油ごはんを思い浮かべてしまう。こんな風に控えめな味付けじゃない。もっと醤油が濃くて、だしなんて入ってなくて、がっつりおこげがついていて、少しずつしっとり口に運ぶ感じじゃなくて、箸にたっぷりのせてもっくもっくと食べてしまうような、素朴な食べ物。食べたい、と思う。もうあのままの味のものは食べられないかもしれないけれど、一度、あの味が再現できるか試したい。

なんとなく、自分が今までお醤油ごはんを作ってみようと思わなかったのは、あの味がもう戻ってこない事を確かめるのが怖かったからではないかと思った。
母のことが懐かしいかと聞かれれば、正直に全然懐かしくない、と答えるだろう。たとえ彼女が生きていても、きっと上手くなんかやれなかった。レシピを教えてもらうなんてことなかっただろう。
それでもあのお醤油ごはんが私のごはんの原点にあるのは確かだった。
料理を完全に勘では作れない私だから、今度インターネットで、あの味に近そうなレシピを見つけることから始めよう。
ぐるっと遠回りをして、私はまたあのお醤油ごはんに出会おうとしている。

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桜庭 紀子
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