「風の時代」を温故知新してみる ~ほぼ妄想の考察 その1
最近 やたらあちこちで、風の時代がくるとか言う言葉を見る。年明けは占い特集とか多いから尚更だけど、女性誌どころか、経済誌なんかでも見る。
なんでも、約200年周期で、水→火→地→風 と、時代がめぐるそうな。
つまり、今 成人している私たちが、これまで過ごしてきたのは、地の時代で、これがどんなかと言えば、ずばり資本主義の時代だ。
資本っていうのは、まずは土地。それから、建物とか、生産設備とか、いわゆる、不動産や、動産と言われる財産だ。ということはね、何かゆるぎないものに、どっしりと根を張るように陣地を広げたものが、時代の覇者となるってことだとしたら、なるほど、「地の時代」だったのかもね。と思う。
それで、2024年現在、風の時代が来る、とか もう来ている とか見ると、すでにどっぷり「地の時代」の価値観で年を重ねてしまっている身としては、なんともおぼつかない気分になる。これからも、楽しく年を重ねていくには、どんな心づもりでいればよいのだろう?
そして、気付いたのが、周期的に来るってことは、人類的に見れば、過去にも「風の時代」は 何度もあったってこと。そのころのことを調べてみれば、この200年周期の信ぴょう性?(笑)とか、含めて、何かわかるんじゃないの?と。
4つの要素が、200年づつで一巡りなら、この前の「風の時代」は 1224年頃から始まる200年ってこと。歴史が得意ではないから、年代だけではピンとこないが、日本では、おととしの大河ドラマでやっていた鎌倉時代だとは思う。それまでの貴族政治から、武家政権が出来た時代。ふむ。で、1200年代の主な出来事をどうやって調べようかなって思って、取り合えず、”13世紀” で検索してみた。
ウィキペディアを開けると、チンギス・ハーンの肖像がドーンと出て来た。
チンギス・ハーンといえば、どこか欧米の国の遺伝学者が、世界でもっとも多くの子孫を残した男と認定したとかいう記事をみたことがある。あまたの、豊かな国々をその機動力を駆使して侵略し、行く先々で、王の妻や貴族の娘たちに種を残していったのだとか。
農地を広げ、都市を作って繫栄し、定住型の基盤を持つ国々を、一か所に滞留することなく、騎馬で蹂躙したチンギス・ハーンのモンゴル帝国。ふむ、なんか風っぽいぞ。モンゴル帝国の基盤は、早い駆動力、そして衣食住のすべてをもって移動すること。なるほど。
次に、そのまた800年前、5世紀を調べてみた。
ベスビオ火山の噴火、たくさんの戦争(1スパン200年あったら、たいてい どの時代でも自然災害も大規模な戦争も どっかしらで見つかるよね)
うーむ。
あった! ”民族大移動” こうなると「風の時代」が ほんとだとしたら、何か見えてきた気がする。
私の、エビデンスなしの、妄想推理によると、「風の時代」は、端的に、移動する時代。今の暮らしと照らし合わせるなら、鍵のなる物はなんだろう?
スマートフォンをはじめとした、ウェアラブル端末だろうか? それとも、地球の周りにみっちりと張り巡らされつつある、通信衛星だろうか?
資産的な意味で言うなら、土地を始めとした、持っている不動産にたよることは、安全の真逆? 定期預金みたいな動かせない資産も同様。
妄想推理をさらにすすめるなら、自分が移動するとき、一緒にいてもっとも頼りになるものは、
それは、”人” だ。
誤解を恐れずに言うと、道具としての観点でも、知性としての観点でも、資産としての観点でも、人類はいまだ ”人” を超えるものは生み出せていまい。 よくある質問で、無人島に流される時、一つだけ何か持っていけるなら?というのがあるけど、もしその選択肢のなかに、自分と気心の知れた人 が入っていたとしたら?と想像してみて欲しい。
私たちは動物だから、地面に根を張ることなく生きていくことができる。
ただ、手を伸ばした時に、その手を掴んでくれる存在を持つことは、「風の時代」には 今までより、もっとずっと、大切なことになるような気がする。