見出し画像

家族や友人との距離は、無理につめなくていい

NeWorkさん「#あの会話があったから」コンテストで選んでいただいた、父の看取りにまつわるストーリー。読んでいただいたたくさんの方に、感謝を伝えたい。 


このストーリーには、伝えきれなかった背景がある。

父は、私が10歳のころに家を出た。母との離婚のためだった。
あの夜、なぜか一人で荷造りをしていた父。どこに行くのかとたずねると、「仕事が忙しいから、しばらく実家で暮らす」と答えた。

10歳の私はそれをしばらく信じていた。しかし何年か経つうちに、父はもう帰ってこないらしい、と理解するようになっていった。

子どものころ、私は「年上の男の人」が苦手だった。同じ空間にいるのが怖かった。それは父の影響だったと考えている。
父はたくさんお酒を飲む人で、陽気に騒ぐこともあれば、激昂して拳で壁に穴を開けることもあった。そんなところが、離婚の原因の一つだったのかもしれない。

中学、高校へと進む頃には、ほとんど父と会うこともなくなっていた。数年ぶりに会ったのは、ただ偶然、町で出会ったとき。
「おう」と、ひとこと言われたような気がする。
ミニスカートとルーズソックスをはいた、数年ぶりに見る娘は、父の目にどう映ったのだろう。

そんなわけで、決して理想的な「良いお父さん」ではなかった。10歳から高校生のときに偶然再会するまで、会話どころか会うこともなかった。

それでもなぜか、最期に手を握っていたのは私であり、その瞬間には過去のどんな出来事も入り込む余地はなかった。

さて、偶然再会してからどうなったかというと、私は父をたびたび訪ねるようになっていった。高校を卒業して大学に入るころには、良き相談相手として、頼れる存在になっていた。就職で悩んだときもたくさん話を聞いてくれた。あのとき父の言葉がなかったら、今の仕事には就いていなかったかもしれない。

一度だけだったが、一緒に2泊の旅行にも行けた。
よくおいしいものを食べに連れて行ってくれた。
お酒は相変わらずだったけれど、酔ってまわりのお客さんに「これがおれの自慢の娘や!」と言いふらしてはしゃぐ様子は、見ていて楽しかった。 

もし自分に何かあった時には、無条件に味方になってくれる人がいる。その存在がとてもありがたかった。

人の悩みは、ほとんどが人間関係によるものだという。そしてそのほとんどが、家族に関する悩みだと聞いた。いちばん身近で、なんでも言える存在だからこそ、衝突が起きやすいのだろう。

私も人並みに、両親の離婚には悩まされた。子どもにとって、家に父親がいない暮らしは、やはり不安なものだった。

でも、私と父には数年の空白があったからこそ、その後の関係があったように思う。
私と父は、ダメなところがわりと似ている。もしずっと一緒に暮らしていたら、何度も衝突して、疎遠になっていたかもしれない。亡くなった知らせをもらって、どこか遠くの他人の訃報のように感じただけだったかもしれない。

距離が生まれるというのは、もしかしたらその時の二人に必要なことだからなのかもしれない。

でもやっぱり、「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないでよ!」とか言ってみたかったな、とも思ったりするけれど。

いいなと思ったら応援しよう!