
「会社を辞める」ということ
夫が先に移住をした2019年4月から、いろいろなことを同時に考え始めるようになった。
しばらく夫婦別々に暮らすということ、沖縄へ行って宿をやるために何をしたらよいかということ、沖縄へ行くまでは実家で暮らすということ、猫アレルギーは大丈夫かということ、そして、会社を辞めるということ。
新卒で入社して以来なので、今年で18年目となる。少しだけ責任のある仕事もさせてもらっていた。月曜から金曜まで当たり前に通って、生活の一部というより自分そのもののようになっていたことを辞める。
夫が移住した時期はちょうど、その先1年はどうしても辞められない事情のある頃だったので、これは自分が覚悟を決めるための猶予が与えられたんだなと思った。
覚悟を決め始めるにあたり、まず何より感じたのは「さみしい」という気持ちだった。上司、先輩、同期、後輩のみなさんと、もう一緒に仕事をすることはなくなる。一生会えなくなるわけではないけど、一つの組織から抜けるということはやはりとてもさみしく感じた。時々フロアを眺めながら、「来年の今ごろにはここにはいないんだな」と考えながらぼーっとしていた。(ごめんなさい)
いつ覚悟が決まったのかというと、実ははっきりわからない。なんとなくその時期は初めから決まっていて、そのタイミングに向けていろいろなことが動いていったように思う。
前回のnoteに書いたように、2019年の年末に「夫婦で宿をやる」という目標は白紙に戻った。じゃあ私は沖縄へ行ったら仕事はどうするの?という新たな課題に向き合うことになった。
編集の仕事を17年やってきたというだけで、資格を持っているわけでもないし、手に職があるわけでもない。一体自分に何ができるんだろうと悶々と思い悩んだ。
結論から先にいうと、編集者の仕事がやっぱり好きだなと思ったので、フリーランスという形態で続けるということに決めた。もともと、宿を本業としながらできる範囲で編集の仕事もやりたいと思っていたので、そちらを本業にすることとした。
フリーでやっていこうと最終的に決めたのは自分だけど、自分だけではとうてい決められなかった。いろいろな人からとても前向きな言葉をたくさんいただき、「もしかして私にもできるのかも?」と思えるようになったことが原動力となった。
どの人の言葉もとても大切にしているけれど、いちばん背中を押されたのは、オランダに移住をしている20年来の友人の言葉。
「大きな一歩を踏み出した先には、必ずいいことしか起きないよ。」
それと、夫が何度も言ってくれていた「ヒロならどこでも何でもできる!」という言葉。(少々雑ですが)
まわりの人たちの言葉を素直に受け入れていくうちに、自然と思考が変わり、行動がついてきたというような1年だった。
そうしてゆるやかに方向が固まっていき、会社に意思を伝える時期がやってきた。「きっとすごく引き留められるんじゃない?」と多くの人に言われ、あれこれ策を考えてから上司に報告したのだが、むしろ妙に納得していただけてしまい、拍子抜けだった。でもそれはそれで、この方向でよかったということなんだと思う。
とはいえ、やっぱりずっと一緒に過ごしてきた同期やチームのみなさんへ報告するのはとても勇気が必要で、毎回手が震えた。私は1年以上向き合ってきたことだけど、報告されるほうは急だもんね。びっくりさせてごめんなさい。
今日で沖縄へ来て3日目。玄関のドアを開けたらヤモリが2匹、サーッと逃げたのを見て、ああ沖縄にいるんだな、と少しだけ実感しているところです。
ああ会社辞めたんだな、と実感するのはいつになるのだろう。きっと、あの人やあの人やあの人がこんな風に活躍しているよ、っていう話を聞くときなんじゃないかな。そのときを楽しみに。